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6年前

6年前、わたしは東京で初めての冬を越して
そのときに勤めていた会社でいつもの仕事をしてしていました。
突然の地震が起きて、とっさに皆でデスクの下に隠れたけれど
なかなか揺れがおさまらずに、棚にあったファイルが全部落ちてきて
非常ベルが鳴り、なぜか天井の点検口のフタが開き
みんなものすごくおびえていました。
わたしは、なぜかさほど動揺したような気持ちにはならず
皆で12階のビルを出て近所の公園に避難をしたときにも
なんだかフワフワと夢をみているような気がしていました。

思えば、東京へ来て半年ぐらい
ぜんぜん地に足が着いていないようなふわふわとした毎日を過ごしていたので
その延長な気持ちでぼんやりとしていた覚えがあります。

揺れが落ち着いてまた会社に戻り、会議室のテレビをつけると
津波が港町を呑み込む映像が映し出されていて
これは大変なことになった、、、と
みんなで慌てて、各々の家族へ電話して安否を確認したりして
その日は早退になりました。

電車が全滅だったので、会社のあった八丁堀から四谷三丁目まで徒歩で帰ったのですが
同じく徒歩で帰宅するひとたちの流れが大通りには出来ていて
皇居や国会議事堂周辺も大勢のひとたちが新宿方面へ
パレードみたいにゆるやかに流れていて
その日はさほど寒くもなかったので、気温とその光景が夢みたいに感じました。
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当日は、みんなまだ事の重大さに気づいていないというか
歩いている人たちも、あまりの非現実感に呆然と夢のような感じだったみたいで
あまり危機感が感じられるわけでもなく。
軽口を言いあいながら歩いている人が多かった。
なんだかみんな冷静だったなあ。
道をグーグルマップで確認したかったけど、電波は切られた状態で
でもなぜか国会議事堂周辺はつながってたのをすごく覚えてます。
やっぱりここ日本の中心なんだな と変に納得してた。
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四谷まで戻って、パンダ氏と合流できてから
唯一営業していた(商魂たくましい・・)近所の中国人のやっているお店で夕食を食べたのですが
他のお客さんたちも、家に帰れないからまぁ焦っても仕方ないか
という雰囲気でビールを飲んでいたりして
深刻な空気は無かったように感じました。

その後、津波の映像が何度も流されて
原発の事故が発覚して
物流が止まって、コンビニにも明らかに品物が無くなり
テレビも一日中震災のニュースしか流さなくなり
それにつれて日に日に
身近な人たちが皆、どんどんと鬱に近くなっていってしまって

自分自身は東京に全く足が着いていなかったので
このまま東京がどうなっても、なるようにしかならない
街に対しては思っていたところがあるのですが
周りの人たちが過敏になって、落ち込んでゆくのを見ているのは
なんだかすごくつらかった。

しかしながら、会社の人たちはというと
そんなセンシティブにもナイーブにもなっていなくて
ただ淡々と何時もどおり、ちょっと不便あるよねー ぐらいの感じでいたので
この温度差を不思議に感じると同時に
会社に勤めていたから、自分は感情に流されることもなく普通に過ごせたのかな
とも、今になって思います。
この温度差が、パブリックな顔とSNSでの心情吐露との違いなのか
会社にいる人たちと音楽に携わっているような人たちの人種の違いなのか
それは定かではないのですが。

6年経って、結局、家が壊れたわけでも家族や仕事を失ったわけでもなかった人たちは
今は何事もなかったかのように暮らしていて
わたし自身も、東京を離れてウソのように明るい場所で生活しているのですが
時折、あの時期の空気を、なんだかついこないだの事のように思い出します。
そして
あれは一体なんだったんだろうか、と。。
日常生活というものは、こうもあっけなく崩れてなくなってゆくもので
景色もまた同じで。
世の中の空気、雰囲気も一瞬でこうも変わるのか
足元をすくわれたような気分になりました。
なんだか自分の人生すらも誰かの長い夢の中の出来事なんじゃないか
なんて本気で思えてきました。

わたしはたまたま東京に越していったから、あの空気を体験できたし
あのまま関西に住んでいたままなら、あんな経験はできなかったし
感じ方も捉え方もまったく違っていたと思います。
その意味をときどき考えるのですが
やっぱり今でも、わからないままです。
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by wankorosan | 2017-03-11 14:46 | 日常な感じ
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