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帰らない過ぎ去る日々たち

11月の頭から約半月、実家へ帰っておりました。
父親が肝臓ガンの手術をするということで、応援?というか、様子をみるためでした。
幸い、他所への転移は無いということでしたが
予想外の大手術となってしまい、、、
無事に手術は成功しましたが
数日で戻ってくるつもりが、回復を待っていたら半月も経ってしまいました。

もともと、わたしもそうですが、わたしの家族は割りと身体が丈夫なほうらしく
今まで大きい病気というのをしたことが無かったので
母親がやはり気落ちをしてしまっていて、どちらかというとそっちの方が心配だったり。。
昔は母方の祖父母とも同居していたので、家族6人の誰かが常に家にいたのですが
今はわたしと同じく夫婦2人だけで暮らしているという環境もあり
もし自分が同じ立場だったら・・・と思わずにはいられないです。

思えば実家を離れてから20年、いちばん疎かにしていたのは自分の親だったなあと。
実家が遠いということもあり、年に2度ペースぐらい、、、
しかも3日ぐらいずつしか帰省していなかったので、半月も実家へ居たのは離れてから初めてでした。
東京に住んでいたときにもバスで2時間ちょっとの距離になったのに
今までの習慣があって、年に3度ぐらいしか帰ってなかったw

実家に居た半月、1日に1回病院へ面会へ行くぐらいしかすることは無かったので
あとは母親と一緒に病院の帰りに散歩をしたりスーパーで買い物をしたり、
家で一緒にテレビをみたり、本を読んだり、、、
本当にダラダラと毎日を過ごしたのですが、
これがなかなか居心地が良かったりしてw
昔は家のまわりに何も無かったのに、すっかり開発されていて沢山家が建ち並び
ショッピングモールみたいのが徒歩圏内に色々あるので、不思議な感じでした。
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実家住まいの方には当たり前な感覚なのかもしれませんが、、
母親と一緒に買い物なんて、ホントに何十年ぶりなような気がします。
中高生ぐらいになったらもう部活で忙しくなってしまったり、
なんだかんだと一人で出かけてしまったりしていたので
もしかすると小学生ぐらいに戻ったような気分でした。
家のことも何でもやってもらって、出かけたら食事代を出してもらって、お手伝いだけやって。
なんていう感覚も何だか久しぶり。
(いやもっとやれよという話もありますがw すっかり親に甘えてしまった)

小学生のころ毎週日曜日にスイミングスクールに通っていたのですが、
いつも行きは一人でバスで通い、帰りは母親と待ち合わせをして買い物をして帰ってました。
西友の地下で一緒に試食をしたり、
いせや(ベイシアという群馬のローカルスーパーの旧名です)でクレープを食べたり
バス停の向かい側には九官鳥が居て、いつもお喋りをしていたり
正直、スイミングスクールは嫌々通っていたのですが、帰りの寄り道が楽しみで続けていました。

思いがけず、もう一度母親との時間がじっくりゆっくり持てて
あとどれぐらいこうやって過ごせるんだろう?と考えると、大事にしないといけないなあ。
とてもとても貴重な時間を過ごしたような気がします。

これは20年ずっと心のどこかで気になっていたことを
果たすための機会だったのかもしれないなあ と
帰りのバスの中でぼんやりと考えていました。
ひとつの絵が描かれてゆく、ピースのひとつなのかもしれないですね。
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by wankorosan | 2015-11-24 18:09 | ヒトリゴト

右を曲がって左を曲がって左を曲がって左を曲がった

「すべてのメロディはもう出尽くされている」
という言葉は、自分が曲を作り始めた20年前には既に言われていたことで
そういった物言いも、もう出尽くされている感があります。
わたし自身もそれはよく分かっていて
むしろその事実を前提として曲を作り始めた部分があります。

そういった意味では、オリジナリティ というものを
わたしはさほど気にしていないように思います。

とはいえ、全く初めての人の演奏を観たときに
「ああこの人はアレが好きなんだろうな」とか
「こうやってこの曲を作ったんだろうな」とか
ついつい思いながら聴いてしまうのは性格なので仕方なくて
それが透けてみえてしまったら、そこまでと思ってしまうのも仕方のないことだと思います。
残念ながら、自分の想像を超えてゆかない音楽にはときめかない・・・

「この曲はあの曲をぱくりました」と、公言する方が時々いらっしゃいますが
その意図が自分にはいまいちよく分かりません。
自分の創作力不足を敢えて口に出して、何か得することがあるんだろうか。。
音楽知識(というほどでもないけれど)を披露したいということなのか、
それとも原曲を超えた自信があるということなんだろうか。

創作、というものを何かすごく偉業のようには思わないし
ミュージシャンを必要以上に神格化する人はちょっと違うなあと思うのですが
ぱくらないと創作できない人が無理につくる必要はないんじゃないかと
わたしはその度に思ってしまいます。

音楽情報については疎いし、安易なキーワードばかりで嫌な気持ちになるので
あまり音楽レビューとか店頭のポップは読まないのですが
「新しい音楽」というフレーズがついたものが本当に新しいのかどうか
本当に新しい音楽なんて、誰の耳にも気持ちよい訳がないと思います。
心地よいと感じる調和なんて数限りある、とおもう。

そういった意味で、やっぱりオリジナリティというものは別に大事ではないし
その人のフィルタを通して出てきたものが結果としてオリジナリティなんだと思います。
その人の持つリズム、言葉のえらびかた、メロディ、アレンジの手癖。
それがその人なりの筋が通っていて、自分の想像をひらりと超えたときに
琴線に触れて、ああ良いなあと感じるんだろうな。
まあでも、安直な展開も気持ちよくて好きなんですが。

というこんな文章だって、もう出し尽くされている大して目新しくもない論調なんでしょうね。
それで良いと思います。
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すっかりシーズンオフの誰もいない須磨海岸。
海岸へ出るとあまり綺麗でない海だけど、離れて見下ろすとなかなか美しいんです。
by wankorosan | 2015-09-09 13:45 | ヒトリゴト

音楽はカネにならない(*´ェ`*)

しばらく前から作っていた犬フィギュアは無事に本日、里親様のところへと旅立ちました。
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まだまだビギナーで、作り始めてからまだ半年でこれが4体目
なのですが、自分が心血注いでつくったあのアルバム4枚分ちょいぐらいのお値段で売れまして。。
もちろん嬉しいのですが、いやいや音楽のほうが作るの大変なんだよと
ちょっと思ったりもしてしまいました。
前に作った2作目の柴次郎くんもいきなり売れたし
作り始めていきなり儲け?がでてしまうと複雑な気持ちです。
わたし20年音楽活動してますが、プラスマイナスでいえば全然マイナスが大きいですw
ずっとそういうフィールドで創作してきたので
「え、こんなんでいいの?」という戸惑いの方が大きいというのが
正直な感想です。

音楽は、ほんとうにお金という面では得るものが少ないです。
自分の活動スタンスでは何もこの方面では言えることは無いのですが・・・
わたしよりも何十倍もライブをやったり告知をしたり、人間関係を頑張っている人でも
おそらく、純粋に出演料とCD売上で生計をたてられている人なんて殆どいないのではなかろうか。
(当然ながら、自分のまわりのインディペンデントミュージシャンのお話しです)
わたしは音楽で生計をたてるのがよいこと、とは全く考えていないです。
音楽をやっている理由は人それぞれですが自分の場合は
人生をかけるものではあるけれども
生活をかけるようなものではないし、生活とともに産み出されてゆくものだと思っています。
とはいえ、なんというか、、、、他ジャンルのアートと比べると、軽視されすぎというか、、、

カネにならないけれど、自分の美しくて良いと思うものを作る
その行為の自己満足感。

ところで
勿論、作ってるときは結構神経と集中力は使っておりますが
こういった動物フィギュアを作るのに、音楽を作るほどの苦しさを感じないのは
なんでなのでしょうか、とつらつらと考えると
こっちはゴールがはっきり見えているからラクなんじゃないかと思います。
ゴールは、自分の場合は本物の動物です。
毛並みがふさふさとした動物の可愛らしさ、萌え感があれば
自分で見てああ可愛いねーと喜んで満足し、ゴールの達成感を持てます。
お手本が本物、という点がとてもはっきりしている。

でも、音楽はそういうのがあまりなくて・・・
着地点がわからずに作り始め、ゴールもたどり着いたのかどうかわからない。
いや、わたしの場合は楽器を持つ前に脳内であらかたの構成は作ってしまうので
ふわりとした出来上がりの絵は持ってから始めるのですが、でも、
時事ネタ的ですが拾ったデザインのトレース、のようなこともしていないし
(どこかにあの曲の空気を、とかそういうベースは多少あるのですが
 それは簡単にわからないぐらいには消化していると思います。
 もし何かの曲に似ている曲があるとすれば、それは偶然か、聴く方の捉え方です)
ミックスを延々とやっていて、思いつめると本当にどれが良いのか全然わからなくなってくる。

性格的なものもあって
ミックスも人形も、延々と手直しし続けてしまいたくなるので
少し時間をおいて改めてみたときに修正点が無ければ出来上がり、としています。
人形は時間をおいて見ても可愛いのに、音楽は・・・
聴くときのコンディションや環境でよくないように感じてきてしまう。
自分のものだけでなくて、どれだけ好きなミュージシャンのものであっても
ものすごく響くときとそうでもない時がある。

ここに、音楽がカネにならない理由のひとつがあるのかもしれないですね。
目に見えなくて、危うくて、絶対的な価値が無い。
皆がいいと言う、という位しか価値のつけようが無いと思うのです。
だから音楽を共感できるひとは、他のものを共感できるひとよりも
余計に親しく感じてしまうのかもしれないし
自分にとってすごく特別な友達だと思ってしまうのかもしれない。


☆余談ですが、デザインのトレースのあの件で、
 テレビのワイドショーで
 音楽も同じで元ネタに似せて作る
 とか、本当に新しい音楽なんて無いから、とか
 そういう事をしたり顔で言っていたコメンテーターは
 まったく意味がわからなかった・・・
 曲を作るというのは、そういうことではないです。
by wankorosan | 2015-09-08 17:57 | ヒトリゴト

ねむりを待つあいだ

こちらへ引越ししてから、早や1ヶ月が経ちました。
仕事へ行かなくても思いのほかやる事が多くて、あっという間。
とにかくちゃんと生活をしたいと思って暮らしているとすぐに時間が経ってしまう。

毎日会社へ通っていたときには、毎朝決まった時間に起きて
支度をして、電車に乗って・・・という繰り返しがとにかく苦痛だったのですが
仕事を辞めるときに「やっと早起きから解放された!」と喜んでいたら
こちらでは、ゴミ出しが当日朝8時までで
さすがに前日から出しておくのはマナー違反だろう、とのことで
(マンションでは半数以上が夜間出しだったけど・・)
結局火曜日と金曜日はゴミ出しのために7時半ぐらいに起きています。
それ以外の日も、なんだかんだと23時から0時の間には寝ており。
起きる時間は少しゆっくりになりましたが、それでも9時には起床しています。
もう元々の体内リズムがそれくらいで出来上がっているので、23時に眠くなってしまう・・

今までずっとマンション住まいだったし、ゴミ出しが緩い地域にばかり住んでいたので
ゴミのために起きるなんて習慣が無くて想定外でした。
あとゴミの分別も(大阪市とか新宿区とか以外の人には常識なのかもしれませんが)細かくて
燃える、燃えない、プラ、リサイクル、、、あとなんだっけ。。
全部捨てる曜日が違っているので、週に3回4回ゴミのために起きなくてはならない。
分けトンという豚マスコットがにくらしく思えてきます。
いや、こんな発言はエコじゃない・・・
(分別自体はホントにちゃんと処理してるのであれば良いことですよね。)


ここまでが今回の内容の前書きで・・・
寝すぎたり、悩み事があると眠れなくなる夜ってありますよね? という事を書こうと思っていたのですが
今のところ、そんなこんなで眠りが余ってる感はなくって
すぐに寝てしまいます。

昔、小学生ぐらいの頃だったか
谷山浩子さんというシンガーソングライターのエッセイを読んでまして
その内容で今も覚えていることがあります。
(わたしは5つ上の姉がいる事もあり、まあまあ早熟な感じの読書家でした、小学生の頃は)

寝付けないとき、暑いとか寒いとかそういう明確な理由もなくって
ただ何となく眠れないときにどうすれば眠りにつけるのか?
こころの中で喋っている独り言を黙らせて、無意識を維持すれば
いつの間にか眠りに落ちてゆく
というような内容でした。

これを読んだときに、そういえば声を出さずに喋っているこの心の声は
どういう仕組みで自分に認識されるんだろうか、とか
この声はどういう音で頭の中で再生されているんだろうか、とか
いろいろ考えたものです。
そしてこれは是非やってみようと心に決めていました。
しかし小学生ぐらいでは寝付けない晩なんて滅多になくって
この方法を実践する機会もなく。

もっと大人になってから、なぜか時々思い出してこの方法を試そうとするんだけど
ぜんぜん上手くいかない。
心の声を黙らせるのって意外とむずかしい。
意識的に黙っていてもいつの間にか何かを考え出してしまっているもんです。
特に、悩み事や嫌なことがあった時なんか、いつの間にかまたその思考が出てくる。。

それを上手く解決する方法を、先日、偶然にネットニュースか何かで目にして
ああこれで点と点が繋がった!!という気持ちになりました。
  「とにかく心のなかで、あーーーーーーーといい続ける」
これは別にいーーーでも、うーーーでも何でも良くって
声を出しているわけではないから、物理的に息切れをすることもなく延々と続けるのが可能で
これを心の中で言い続けている限り、別の思考が入ってくることは無い。

あまり寝付けない晩が少ないので、まだ2度ぐらいしかやっていないのですが
とりあえず2度は成功しております。
毎日の仕事に追われることがなくなると、疲れ切らないし
これを実践する機会が増えるのかな、、、
なんて思っていたのですが、
今のところコテンと寝ております(*´ェ`*)
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さようならが布団の中で冷たく横たわっているのか、どうか、
分からないままに眠りについてしまう。。
by wankorosan | 2015-07-03 18:08 | ヒトリゴト

糸、意図

告知を目的としない
ただ日常や心の動きを綴った文章が好きです。
わたしが垣間見たいのは、告知ではなくって
そのひとの考えてることや日々の暮らし
だったり、ね。。

(いや告知も情報としては必要やけど)

そういうのがあふれでちゃって、吐き出してるひと
すごく親近感あります。。
by wankorosan | 2014-04-01 23:27 | ヒトリゴト

ピアノのお稽古

小学校の1年生から中学校の2年生ぐらいまで、
ずっとピアノを習っておりました。

別にやりたいと言って始めた覚えもなくって
たぶん、5つ上の姉が習いたいと始めたのをみて
自分もやりたいみたいに言い出したんだと思う。
ピアノに限らず、小学校の頃は習い事というのを沢山やっていて
ピアノ、そろばん、お習字、スイミングスクール・・・
どれもこれも、そのものがやりたかったんじゃなくって
周りの誰かがやっていてその流れで何となくやっていたんだと思う。

思えば
自分が能動的に、あれやりたいこれやりたいって
何かを始めることはあんまりなくって
いつも周りの誰かがきっかけを与えつづけてくれて(妹気質?)
だけど、始めてしまったことは、
いつまででも辞めると言い出せずに、延々と続けてしまう・・・
習い事もほとんどが、嫌々なのに小学校時代ずっと続けていました。
しかし嫌々なので練習もせずに大して上達もしない。

ピアノに関しても、全くそうで
一緒に習っていた友達や姉はけっこうモチベーション高くって
練習をちゃんとやってきたりとか、将来はピアノの先生になりたいと言い出したりとか
そんなのを聞いて
ああすごいなあ、偉いなあ って他人ごとみたいに思っておりました。
子供が未来に向かって瞳を輝かせる 的な表現って
大人からみた子供がそうあって欲しいっていう願望に過ぎないんじゃないのかな
と(今日のわんこの犬みたいなもん)思う。
自分が子供の頃は、特に夢とか目標とか無かったし
目先の欲望のことを考えるだけで日々が終わっていった気がする。
(いや 志高い子供も沢山いるんだろうけど・・)

とにかく
練習というもの、努力するということが嫌いだったので
一切練習をせず、重い足取りでピアノ教室へゆき
初見で楽譜をみて、課題になっていたページを弾き
先生が「ちゃんと練習してきた?」と聞くと
「はい・・・」と答えてて
でもそれは、バレバレのウソだったのでw
いつも怒られていて。。
あんまり楽しいものでは無かった。
結果、初見はちょっとうまくなったけど、ピアノはやってる年数に対しては全然上手くならなかった。

今でも、時々ピアノのお稽古に行く夢をみてしまって
今日こそ辞めるって言い出すぞと思いながら
ピアノ教室へ歩いていると全然違う道を歩いていて、
迷って気づくともうレッスン開始の時間がとっくに過ぎていて
もう遅刻なのか、
もう今日は行かないでもいいのかな、
でも怒られる・・・

何かに急かされるような、やらなければいけない事をやらないでいる
とてつもない罪悪感でいっぱいの、悪夢です。
あれからもう30年ちかく経っているのにまだ出てくる。
強烈なモチーフです。
実際には、お稽古をサボったりとかはしたことないんだけど。。

結局、高校受験という良い口実で無事に辞めたんだけど
むしろ辞めてから急にピアノを練習したくなって
誰にも約束していない気軽さでソナチネを練習し始めたり
ピアノスコアを買ってショパンやドビュッシーやラヴェルやサティを練習してみたり
(印象派に偏りがちなのは、姉の好みをそのまま受け継いでるだけです
 自分と違って、姉は何でも能動的に動いて情報を持ってきてくれて、
 ぽわーんとわたしは、5歳上の文化を吸収してゆくだけでした)
とある男性シンガーソングライターのピアノスコアを買って練習したり
毎日、1時間程度だけど日課として弾いてました。

練習や努力っていう気持ちはそこにはなくって
ピアノを弾きながら、別のことをぼんやり考えていたり風景を思ったり。
ま 今と変わらない。。
楽器を弾きながら、何かこころはどこかを想っているという感じは
そのときからずっと同じような気がします。
瞑想というほど立派なものではないけど、、、
普段の生活では、意外と意識がはっきりしている方なので
ぼんやりとした気持ちになるのは良い時間です。

実家を出てからはピアノが手元になくなったので弾かなくなっちゃって
バンドでは楽譜を読むことも無かったから
(今までスコア読むようなコピーバンドとかやったことないんですよ、、)
今では、楽譜を読むのもままらない感じですが。。。
そしてコードという概念がピアノの練習曲には無かったので
そのままピアノのお稽古が、役にたっているとは、言い難いのですが
ソルフェージュとか、あと長調短調の音階とか
おそらく土壌として染み込んでいる部分があるのかもなあ。

なぜかずっと続けていたピアノのお稽古、バイエル、ツェルニー、練習曲。
小学校の頃に習った唱歌、みんなの歌。
オーソドックスで、タイムレスなメロディが自分のどこかにはずっとあります。
目新しくなくても、驚きに満ちていなくても
しみじみと噛み締めるに耐えうるような、良いものをいつか作れるようになりたいものです。

そういえば
能動的に自分が始めたことはとても少ない と書きましたが
曲をつくること、これは割と例外で
誰に影響されたというものでもないように思います。
周りの誰かがやっている訳でもなく、作り始めた感じがあります。
なぜ作り始めたのか?それはよく分からないのですが
気づいたら、物ごころつくころから、ずっとぐるぐるとフレーズが回っていてそれをアウトプットしている
というのが大きいです。
ブログとかの文章も、そうだなあ。。。
なんにせよ、何か目的がというよりは、出力しないと気がすまない。
ダラダラ書くのが性に合ってるんでしょうね。
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by wankorosan | 2014-03-15 15:34 | ヒトリゴト

名前をつける

自分が弾いているギターのコードネームを、実はあんまり把握しておりません。
いや、薄々はわかっているんだけど・・・
前にも書いたかもしれないけど、自分のギターチューニングは半音下げで
(Bのキーの色合いが好きやから)
そこから2カポとか3カポをしているので、考えるのが面倒
というのが一番の理由です。

しかし、段々と、
これを押さえるとこの和音が弾けるんやな というのは分かってきて。
一応、フラットチューニングでのごく基本的なコードネームは大体分かっているので
弾いていて、スリーコード展開やなこれは 的な感覚ではおります。

最近は、ギターを弾いて曲を作ることも多いんだけれど
コード進行から作るというよりは、和音の響きや色味を好みに動かして
それにうたをのせるというやり方でやっています。

そして、前々からのやり方の鼻歌?というか
楽器を一切弾かないで大体の曲を作るっていうのもやっていて
その場合、コードくっつけるのが結構大変です。

昔から楽器を弾かないで作ることが多かったんだけど
慣れ親しんだ鍵盤楽器だと、割とスルスルっとコードをつけられる。
けど、ギターの場合、ほら半音下げの2カポとかだから・・・
なので
歌いながらギターの音を探り、そこから3度っぽい感じの和音になる押さえ方を考えて
進行させていったりなど。。
名前ではなくって場所で覚えている感じです。

しかし、そうしてくっつけたコードが、
やっぱりスリーコード的な進行だったりするのが悔しい。

なんていうか名前を知ってしまうと
これはもしや未知のものじゃないか と思ったものが
急にありふれたものに思えてきてしまう・・・

という理由もあり、今は敢えてコードネームを追求しておりません。
でも、ここを超えて名前を自在に操れるようになると
本当に自由になれるんだろうな という夢はみております。
ま そのうち、もっと上手くなってから。。。

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名前をつけること
それは、そのものに形を与えること
なんだろうな と思います。
形を与えられて、目にみえるようになったもの
それをどう手にとってゆくのか。

そうそう
わたしのソロに「てくらがり」という名前を
形を与えてくれたのは、ギューンカセットの須原さんなのです。
漠然とした、モヤモヤした形のない宅録に名前をつけてもらったとき
形を手にした気がしてとても嬉しかったです。
形を手にして、ここからどこへゆくのか。
行方は敢えて把握しておりません。
あんまり今は、どうなりたいのかを考えたくはない。

分かってしまうと、おもしろくなくなるような気がして。
by wankorosan | 2014-03-10 23:50 | ヒトリゴト

しにたくはない

小学生の頃だったか。

国語の先生(50代ぐらいの、とても化粧の濃い女の先生でした)が、
「お前たち(ってホントに生徒の事を呼んでた)は、死にたくないから
 毎日ちゃんと寝て起きて食事をして、学校へ行って家に帰る生活をしているんだろう?
 風邪をひきたくないのも、怪我をしたくないのも、みんな死にたくないからだ。
 全ての行動は、死にたくない為にやっているんだよ」
ということを言っていたのを聞いて
はっきりわからなかったけれども、
それは絶対にちがう、と 
強烈な異和感をおぼえたことを
なぜだか、すごくよく覚えています。

いまでも、それに反論するちゃんとした言葉がみつからないんだけれども
やっぱり違うような気がする。

大人のみなさん
子供は、何十年経っても、その頃言われた何気ない言葉をおぼえているものですよ。
言葉には、気をつけましょう。。
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by wankorosan | 2014-03-04 23:51 | ヒトリゴト

ディスコグラフィー

なんかね、最近振り返ってばかりなのですよ。
振り返りグセというのは元々あって
それは過去を懐かしんで戻りたい的なものではなくって
今の自分の立ち位置や、気持ちを整えるために定期的にやるんだけど
(だから、よくそんな事覚えてるねって事を割と覚えてる)
どうも最近、それが多い気がする。
こないだの日記の記事を書いた時ぐらいから
気づくと自分の歴史みたいのを思い返したり思いだしたりする事が多い。
無意識に今から作るものへの繋がりを作りたいのかもなあ。

こないだの大雪で延期になっちゃったんだけど、
セプチマの90sノスタルジーのイベントでレコード選んでた時も
これ買ったとき、こんなの作ってたなとか。。
何でも自分自身に帰結してしまうのは、ちょっと恥ずかしいものもあるんだけど
そうでないと、何も作れなくなってしまうような気も、します。

で、自分の今まで作ったあるいは作って貰った音源を
いっぺんに並べたら、一体どれくらいあるんだろう?
なんてことを思い始めて。
よくよく考えれば、ジェニーの音源すらちゃんとアーカイブしてるひといないし
(わたしも多分全部持ってないかな)
それを誰がまとめるんだ?といえば、自分がやらないと誰もやらないだろうなとw

98年にジェニーはKOGAから1stをリリースしたんだけど(って今調べた)
その前に、おそらくカセットテープのデモテープを10本ぐらいは作っていたと思う。
2曲入り、10分。
それを何回かまとめてEP的に作ったり。。。
それらの何本かは今、手元にあるけど残りは実家にあるのかないのか。
そして、そのカセットテープの曲のうち半分以上はたぶんアルバムには収録されてないと思う。。

そして1stリリースぐらいの頃にカセットテープMTRを購入して
宅録でソロを録り始めて。(CRYBABYという名前です)
それもカセットテープを5本ぐらいは作った。
うち数本は60分テープとかだったと思うw
正式リリースみたいのは、東京にいたレーベルをやってた友人がカセット1本やってくれて
その友人が制作してくれたコンピレーションCDにソロとジェニーと両方が収録されている記憶。
(サウンドクラウドでいっとき上げてた、過去音源の曲です)

そして別企画のコンピレーション(トリビュートゥニッポンですね)にジェニーが1曲参加
あと、ChainLetterさんというバンドとスプリットで7インチリリース
ほんで、ギューンから2nd、3rd・・・

あと島田温泉さん・フレンドリーハーツオブジャパンの林さんとの「あまやどり」
(これは同名バンドが京都にいるらしいので、現在”仮”をつけている)も
自主でCD作りましたね。全く流通してないw
そして、フムフムの1st、カシオトーンコンピ。
参加したというなら、昨年のシバタアスナも入れて良いのか。。
東京に来てから、何もしてないようで結構やってる。。
端子さんが色々誘ってくれて、幾つか一緒にやったんだけど、これは音源残さずですね。
(銀塩つばめに参加できたの、ほんと一生の思い出クラスに嬉しかった。。
 りまちゃん端子さんのは、いつか一緒に録音したいな。)

で、今のソロ(てくらがり)の1stアルバム。
あ マフィンさんのレコ発特典のコンピに、てくらがり1曲入れさせて貰った。。
あと特典で思い出したけど、ジェニーがベアーズでオブリークってイベントやってた時に
毎回、特典カセットテープ作ってたな。あれもリリース音源かな。
イベントテープといえば、マイパル万博とかもあったね。
特典といえば、昔ファンジンにおまけテープつけるの流行ってて、ジェニーやソロやで入ってるかも。
ああ チャチャチャメンタスはどうだったか。。

いま思い出せるだけでも、少なくともこれぐらいあって
やっぱりいつか整理してちゃんとネット上に掲載したいなぁと思っております。
ゑでぃまぁこんのサイトのやつみたいな、イメージです。

そういうの、おざなりにしすぎて来た感があって
(何か中二病っぽい感覚で拒否してた面もあったんだと思う)
ちゃんと自分のことを発信出来るひとのすごさを、最近すごく感じているので
そのうち余裕が出来たら、やってゆこうと思います。

なんか唐突に振り返っちゃったけど、まぁそういう日もあるのですよ。。
でも、ひとつ言えるのは
一番大事なのは、これまでじゃなくってこれからということかなと。
そして、1度関わったひとたちを
通り過ぎたひとみたいに思うことは出来なくて、
きっと、また再び出会う時期があるような気がするな。
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by wankorosan | 2014-02-12 22:49 | ヒトリゴト

天使のクッキー

今日は、ちひろさんのお店rollへ行ってきました。
小さくて可愛い、夢のようなお菓子屋さんです。

ちひろさんは、とうめいロボという名前で歌を歌っていて
ギューンカセットつながりということもあり、
大阪にいた頃には何度となくその歌その世界に触れていました。
儚くて触れたら壊れそうで夢のように綺麗なのに
コアな部分はすごく強くて、その中にグイグイと引き込まれる感じがあって
こんな綺麗な歌をうたうひとが、この猥雑な世界で生きてゆけるんだろうか
なんて
余計な心配を思わずしてしまうくらい・・・
素敵でした。

いや、素敵でしたっていうのはおかしいねw
いまも時々ライブされているし。
それをタイミング逃して観にゆけていないから過去形になっちゃってて。。
いまはもっと素敵になっているとのウワサは耳にしています。
必ずや、また観にゆきたいです。
ちひろさんの歌聴きたい。

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なんというか、その存在が夢のようにみえるひとって
音楽をやっているひとには時々、いや割と沢山いて
自分は割と何でも晒してしまうタイプなので、現実感ありありだと自覚してますがw
(もっとミステリアスだったら良かったかも とも思うけど、性格なので、、)
その音楽を聴くと、このひと、どうやって生きているんだろうか?
なんて思ってしまう。

創作と生活。

こちらで活動してるミュージシャンの人たちと出会って
今まで関西で出会ってきたひとたちと違うなぁ と一番肌感じたことが
(どちらが良い悪いではなくて、違うということです)
関西で出会ってきたひとたちは、生活と音楽を分けているというか
お金を稼ぐ為の社会的な回路?みたいのを、それはそれで持っていて
(仕事だけでなく、会社のしがらみの中でも上手くやる、的な)
社会人としての顔とミュージシャンとしての顔を完全に使い分けていて
自分も、その中でずっと活動してきたので
まぁそういうものなのかな なんて思ってきてました。

けど、
もちろん違うひとだって沢山たくさんいるから地域で一概には全然言えないけれども
単にそういうタイミングなのかもしれないけれども
こちらで活動してるひと達は
ぱちっとスイッチを切り替えられなくって
どうやって生活してゆくかをもがいているというか
そこがモチベーションに繋がっているというか・・・
ふわふわしていて、不安定で、そこが魅力に繋がっているのかもしれないけれど
時に胸をしめつけられそうになる感情にとらわれます。
最初は、ああこんなんで大丈夫なの?なんて気持ちにもなったのですが
でもみんな、それなりにちゃんと生きてゆけてるからこれでいいのかと思ったりとか、
何だか共感する部分も多々あり。
ま、なんとなくやけど、ふわふわしてても生きて行けるような場所なのかもしれないね
東京って。
お金を貰える手段や可能性はやっぱり関西とは、段違いに豊富だなと~と思う。

お金だけの問題ではなくって
創作してゆくことって、ひたすら内面に潜ってゆくことで
そうではない人からみたら、単におかしな行動にしか見えなくって
しかも世間って、自分が知らない世界のものは
価値のない、くだらないものだと思うもので
有名なアーティストの創作を有難がるけれども、
別に本当にその価値をわかってるとかじゃない。

それと一見、矛盾するようだけれども
昔、もう20年とか前じゃないのかな。。
笑っていいともで、有名なミュージシャン(誰だか忘れてしまいました)が
「音楽なんてなくったって、人は生きてゆけるんですよ、ホントの話」と言ったときに
会場のお客さんが一斉に「えええーーー!!」って声をあげていて
でも、自分はそりゃそうでしょうよ とそれを見ながら思ったことがあって
世間ってそんなもんなんですよね。
深く考えず関わってなくったって、何か音楽って自分にとって大事だと思いたくなっちゃう。
(大事ならばちゃんと関わればいいと思うんだよね)
そして、ひとが集団になると、条件反射でしかリアクションしなくなっちゃう。

そのミュージシャンが音楽と向かい合ってガッツリ考えた結果の言葉だったとしても。。

会社でも、学校でも良いけれども
とにかく、集団が和をもって上手く機能するためには
みんなが同じような感性を持っていたほうが良くって
それが、内輪のあの子やあの子の噂話だとか悪口だとかテレビの話題だとかスポーツの話題だとか
そういうことに興味がある人が世の中には大多数いて、声が大きいから
とりあえず、その場をその手の共有コミュニケーションで済ませて、笑う。
・・・綺麗じゃないですねw
ちいさい声で自分の世界ばかり大事にしている人は肩身が狭いというか、生きづらい。

そこをスパっと割り切れないひとは、本当に大変だろうなと思う。
あ、それは自分かw
単に仕事をこなすスキルがあるからやっているだけで、
でもモヤモヤは毎日毎日抱えていて
ああ世間ってめんどくさいと思いながら、
時間やしがらみをお金に変えて生活をしている
というのは、自分か・・・
(音楽をお金に変えられるようになりたい という人も沢山いると思うし
 自分もその考えを否定する気は全くないのですが
 わたし自身は、そう考えると何も作れなくなってしまうタイプなので
 敢えてその視点は排除して書いております。。)
相当この面では自分を鍛えてきたつもりでいたんだけれども
さいきん曲を作るというよりも歌詞を書いていることで
中々世間が邪魔をしてしまう。。。
言葉は思考だし、思想だし、内面がそのまま出てしまうのが怖い。
だって、綺麗な世界を書きたいし、世間は綺麗でないし、
そのギャップを埋められるほどに器用でもないし。
だからと言って、世間に関わらないで生きてゆくことは不可能。

皆どうやってその折り合いをつけているんだろうか
と不思議に思っているのだけれども
自分の世界を保ちつつもちゃんと社会的にも生きて行けてる折り合いのひとつが
ちひろさんみたいな、素敵なお店をやることなのかもなぁ と
他にもミュージシャンですごくセンスの良いお店やっているひとが沢山いるので
しみじみと思ったりします。
まぁ自分は、お客さんなので綺麗な部分しかみていないけど
影では相当な努力と苦労をされているんだろうとは想像しておりますが。。
わたしには、出来ないことです。
お金をもらうプロとしてのクオリティを維持することと
自分で全てをルーティンにのせるまでの努力を考えたら、気が遠くなっちゃう。。
だからモヤモヤしたまま、働き続けるんやろな。

ちひろさんの素敵な可愛いクッキーをみながら、ほんとすごいな なんて
ぐるぐるとそんなことを考えておりました。
お菓子は無条件にほとんどのひとをしあわせな気持ちにさせてくれるし
それを作る仕事って天使っぽい。

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by wankorosan | 2013-12-13 23:27 | ヒトリゴト