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その星あかりを道しるべに

昨日は京都で行われたVashti Bunyanの来日公演へ行ってきました。
実は、「完成形のアルバムを聴ければライブはまぁいいかな・・」と思ってしまうほうなので
あまり来日公演などをマメにチェックしたりしないし、知っていても行かなかったり
という事ばかりなのですが、
去年のアルバムも最後と言っていたし、もしかするとこれは最後かもしれない・・・と思って
今回は情報を知ってすぐに必ず行こう、と心に決めていました。

前回の来日は大阪で、そのときにも観に行ったのですが
クラブみたいな会場で立ち見で人が沢山いてあまり姿が見えず、
しかもあんな静かな音楽なのに会場のスタッフが演奏中に音をたてていて気になってしまった という
あまり良い印象が無かった覚えがあります。
(わたしが来日ライブが好きでないのはスタッフや招待プレスの態度とかも一因なのかもしれないです・・
 もちろんそうではないイベンターも沢山いらっしゃいますが、、)
そのリベンジ、という気持ちもどこかにあったのかもしれないです。

今回は東京と京都の2公演のみで、東京は教会らしいのですが
京都は企業の研修や会議に使用されるらしい
こじんまりとした市民ホールで行われていました。
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高校生のときに、ブラスバンドの定期演奏会を行ったホールよりもちょっと小さいぐらい。
飲食禁止の指定席で、ホールに皆がきちんと着席していてしんと静まり返った中で
ささやかな2人だけのセットでささやく様に放たれた歌声は
それはそれは素敵でした。
小さな星座のように光っていた照明もすごく良かった。

さきほど知ったのですが、彼女は来年なんと70歳になるらしいですね・・・
それであの歌声とは、驚き。。
ささやくようで、決して自分を必要以上に大きく見せようとはしないけれど
その声は自分の作る曲についての確かな自信に満ちていて
自分の見えている世界、ていねいに作り上げた世界を大事に伝えようとしている姿勢が
わたしにはとてもとても気高く美しく見えました。

これから年を重ねて自分がどうやって音楽と関わってゆけばいいのか
その道しるべを指し示してくれたような気がした時間でした。
観にいって良かった。

最後の来日かもしれない、という思いにかられて
そしてヴァシュティの存在とあのアルバムのイラストが好きすぎて
いつもはスルーしている物販をこの日のお土産に買いました。
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手芸の綿入れという役割をあたえてみました(*´ェ`*)

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全くこの流れとは関係ないのですが
さっき洗濯物を干していたら、目の前の駐車場からすごい剣幕の怒鳴り声が。。
いつも喧嘩しているお隣りの若夫婦かしら、とみたら何と80過ぎぐらいの老夫婦のおじいさんでした
おばあさんはもう一人ではさっさと歩けないぐらいで
いつも寄り添って静かに散歩をしていたり一緒に車で出かけているのを見かけて
ああ年を重ねても仲良くていいなあなんて微笑ましく見ていたのですが
一見すると他人にはわからない問題 というのが誰にでもあるんだなあ と
人生の一幕を垣間見ました。
by wankorosan | 2015-09-23 14:03 | 音楽とか

23年の時をこえて

旅行用に愛用していたバッグのファスナーが片方壊れてしまい、
騙しだましずっと使用してましたが、引越しの移動でついに両方壊れてしまいました。
引越ししてからもう3ヶ月、いちばんの遠出は京都で、関西を出ることもなく
旅行かばんの事は気にしつつも先送りにしていたのですが
来月、鳥取へ行くことになり、冬には九州旅行の予定も。。
とうとうかばん問題と向き合う時が来ました。

ファスナーを直せばまだ使えるのですが、いろいろ検索していたら結構修理料金が高くて
中古でも良いものがあれば思い切って買い換えてしまおうか・・・

何気なくインターネットオークションを眺めていたら、修理料金と同じくらいで
なかなか立派なものが買えてしまう。
ああいうオークション市場は、ブランド価値があるもの以外は二束三文なものが多くて
個人の思い入れや主観的な価値なんて万人の価値にはならないんやなあと
いつも思いながら見ています。

で、落札したボストンバッグが
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右のものなのですが
もともと持っていた左のものと同じメーカーの形ちがいでした。
ネットで写真をみたときに、ちょっと柄や雰囲気が似ているなあとは思ったのですが
元々ノーブランドで製造メーカーはオークションページに明記されてなかったので
よくある感じの柄だしあまり気にしていませんでした。

届いて、カバンの中のタグをみたら・・・
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やっぱり同じメーカーでした(*´ェ`*)
巡りあわせとはこういうものなのか。

左のバッグは、自分が高校生の頃に修学旅行用に購入したもの。
とても頑丈なのでまだまだ使えるのですが、ちょっとバッグ自体が重くて・・・
形も四角くて納めやすいので、現在はお部屋の収納用品として活用しています。

しかし、高校生が買うにはちょっと渋い感じの型のカバンやなあ と
今じぶんで振り返ってちょっと面白く思います。
当時、周りの子たちはやっぱりもっとカジュアルなボストンバッグを持っていて
こんなクラシックなカバンを持っていた自分はちょっと浮いていたのですが
それでもそんな自分がまんざらでもなかったw

小中高とオリーブ一筋だったので、やっぱりリセエンヌ(!)に憧れていたし
ヨーロッパに憧れていたし、旅に憧れていたし
ああいうクラシックな形のスーツケースにとにかく憧れていたのですね。

昔はどんな子だったのか?と友達に訊かれて
「うーん、今とあまり変わらない・・・かな」と、もぞもぞと答えることが多いのですが
約25年も経って結局同じテイストのかばんを選んだり
やっぱりあまり変わっていないような気がします。
やってることも大して変わらないような。。

先日、雪舟えまさんの「プラトニック・プラネッツ」を読んで
その世界観にとてもわくわくしてしまって
読後もしばらく登場人物のことを考えてしまったりして
何だかこういう感覚、すごく久しぶりだなあ・・・と思い返していたら
実家にいた間、親が少女マンガ好きだったので
暇があれば少女マンガを読んでいて
そのときの感じにすごく似ているなこれは、と気づきました。

そして
高校生ぐらいの頃の自分は、休日に友達と出かけまわったりした覚えもあまりないし
学校のお友達は、学校でしか会わなくって、プライベート?では一人で行動していたし
部活はやっていたけど(ブラスバンド)部活が無い時には何をしていたんだろうか

ここ何年もずっと思い出せなかったのですが
すっぽりと抜けていた記憶をふと思い出しました。

家にいて、ラジオを聴いたりマンガを読んだり雑誌を読んだり映画をみたり、ひたすら音楽を聴いていた
・・・

今と何が違うのかw
ネットがあれば、間違いなくネットばかり見ていたしブログを書いていたと思います。
当時の自分には1枚のCDがものすごく高価なものだったので
ヘアカット100とかバッドフィンガーとか、ストーンローゼスとか
脈絡もなくラジオで聞きかじって自分がこれと思ったものを買って
ひたすら何度も聴いていた覚えがあります。
もっとオーソドックスなロックも聴いててクリームとかレッドツェッペリンとかも聴いてたなあ。。
曲もつくろうと思ったけど、作り方がわからなくて出来なかった。
なので、スケッチブックにイラストと詩を両方書いたものを作ってた気がします。
(銀色夏生さんの影響ですか)
通ってた高校には軽音楽部がなかったので、大学生になったら絶対にバンドをやろうと思ってた。

何がどうなって高校生の自分がこうなったのかは、よくわかりませんが
まぁ・・・根本的な人格形成ってこの時期にはもう出来上がってしまうんでしょうね。
人によっては、大学生や社会人のタイミングで全く変わってしまうのでしょうが
自分の場合は、気持ち悪いぐらい変わっていない。
職場で、昔ギャルだったという子が今は清楚な雰囲気になっていて
ギャル時代を「黒歴史」と呼んでいましたが
そういった意味での「黒歴史」は自分には無いと思います、たぶん。。

将来何になりたい?という質問が
昔からすごく嫌いで
学校の先生の前で「学校の先生にはなりたくないです」と言う程度には嫌いでw
それはたぶん・・・なりたい職業がなくって、働きたくなかったのでしょうねw
会社に執着が無い、仕事はただお金を貰う為のツールである、
という気持ちしか無い現在のこころもちと何も変わっていない。

根っこは変わらないなあ ということを
自分に甘いわたしは微笑ましく思うのですが
しかし
大人になって、もやもやしていたものを形にする方法が少しずつ分かったり
お金を貰う為のスキルが人並みについたり
そして、自分が良いと思う音楽を作るひとが身近に沢山いたりして
当時よりも大分幸せな状態になっていると思います。
そこは大丈夫、と高校生の自分へ伝えてあげたいw

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話は全く変わりますが
昨日、須磨海岸でスティールパンフェスティバルというものが行われてましていました。
スクールの生徒さんの発表会、みたいな感じだったのですが
そこでビーチボーイズのココモを演奏していて
秋の初めの海辺の陽射しと、スティールパンの音色のきらきらがシンクロして
そこにあの天国のようなメロディが乗って・・・・
のんびりとした休日のお昼に生ビールをくいっと飲みながら聴いていたら
何だかぐっと、たまらない気持ちになりました。
やばかった。

前にも何度か書いているのですが
わたしは色々考えながら聴いてしまうクセがあって
滅多にライブをみて感動、というか、気持ちが高ぶるようなことが無いのですが
まさかこんなところで、しかもスクールの生徒さんの発表会で高揚が訪れるとは。。
不意打ち。

さいきん、日々の暮らしの中できらきらした瞬間がたくさんありすぎて
ありがとう と言うしかありません。
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by wankorosan | 2015-09-21 13:11 | 日常な感じ

右を曲がって左を曲がって左を曲がって左を曲がった

「すべてのメロディはもう出尽くされている」
という言葉は、自分が曲を作り始めた20年前には既に言われていたことで
そういった物言いも、もう出尽くされている感があります。
わたし自身もそれはよく分かっていて
むしろその事実を前提として曲を作り始めた部分があります。

そういった意味では、オリジナリティ というものを
わたしはさほど気にしていないように思います。

とはいえ、全く初めての人の演奏を観たときに
「ああこの人はアレが好きなんだろうな」とか
「こうやってこの曲を作ったんだろうな」とか
ついつい思いながら聴いてしまうのは性格なので仕方なくて
それが透けてみえてしまったら、そこまでと思ってしまうのも仕方のないことだと思います。
残念ながら、自分の想像を超えてゆかない音楽にはときめかない・・・

「この曲はあの曲をぱくりました」と、公言する方が時々いらっしゃいますが
その意図が自分にはいまいちよく分かりません。
自分の創作力不足を敢えて口に出して、何か得することがあるんだろうか。。
音楽知識(というほどでもないけれど)を披露したいということなのか、
それとも原曲を超えた自信があるということなんだろうか。

創作、というものを何かすごく偉業のようには思わないし
ミュージシャンを必要以上に神格化する人はちょっと違うなあと思うのですが
ぱくらないと創作できない人が無理につくる必要はないんじゃないかと
わたしはその度に思ってしまいます。

音楽情報については疎いし、安易なキーワードばかりで嫌な気持ちになるので
あまり音楽レビューとか店頭のポップは読まないのですが
「新しい音楽」というフレーズがついたものが本当に新しいのかどうか
本当に新しい音楽なんて、誰の耳にも気持ちよい訳がないと思います。
心地よいと感じる調和なんて数限りある、とおもう。

そういった意味で、やっぱりオリジナリティというものは別に大事ではないし
その人のフィルタを通して出てきたものが結果としてオリジナリティなんだと思います。
その人の持つリズム、言葉のえらびかた、メロディ、アレンジの手癖。
それがその人なりの筋が通っていて、自分の想像をひらりと超えたときに
琴線に触れて、ああ良いなあと感じるんだろうな。
まあでも、安直な展開も気持ちよくて好きなんですが。

というこんな文章だって、もう出し尽くされている大して目新しくもない論調なんでしょうね。
それで良いと思います。
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すっかりシーズンオフの誰もいない須磨海岸。
海岸へ出るとあまり綺麗でない海だけど、離れて見下ろすとなかなか美しいんです。
by wankorosan | 2015-09-09 13:45 | ヒトリゴト

音楽はカネにならない(*´ェ`*)

しばらく前から作っていた犬フィギュアは無事に本日、里親様のところへと旅立ちました。
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まだまだビギナーで、作り始めてからまだ半年でこれが4体目
なのですが、自分が心血注いでつくったあのアルバム4枚分ちょいぐらいのお値段で売れまして。。
もちろん嬉しいのですが、いやいや音楽のほうが作るの大変なんだよと
ちょっと思ったりもしてしまいました。
前に作った2作目の柴次郎くんもいきなり売れたし
作り始めていきなり儲け?がでてしまうと複雑な気持ちです。
わたし20年音楽活動してますが、プラスマイナスでいえば全然マイナスが大きいですw
ずっとそういうフィールドで創作してきたので
「え、こんなんでいいの?」という戸惑いの方が大きいというのが
正直な感想です。

音楽は、ほんとうにお金という面では得るものが少ないです。
自分の活動スタンスでは何もこの方面では言えることは無いのですが・・・
わたしよりも何十倍もライブをやったり告知をしたり、人間関係を頑張っている人でも
おそらく、純粋に出演料とCD売上で生計をたてられている人なんて殆どいないのではなかろうか。
(当然ながら、自分のまわりのインディペンデントミュージシャンのお話しです)
わたしは音楽で生計をたてるのがよいこと、とは全く考えていないです。
音楽をやっている理由は人それぞれですが自分の場合は
人生をかけるものではあるけれども
生活をかけるようなものではないし、生活とともに産み出されてゆくものだと思っています。
とはいえ、なんというか、、、、他ジャンルのアートと比べると、軽視されすぎというか、、、

カネにならないけれど、自分の美しくて良いと思うものを作る
その行為の自己満足感。

ところで
勿論、作ってるときは結構神経と集中力は使っておりますが
こういった動物フィギュアを作るのに、音楽を作るほどの苦しさを感じないのは
なんでなのでしょうか、とつらつらと考えると
こっちはゴールがはっきり見えているからラクなんじゃないかと思います。
ゴールは、自分の場合は本物の動物です。
毛並みがふさふさとした動物の可愛らしさ、萌え感があれば
自分で見てああ可愛いねーと喜んで満足し、ゴールの達成感を持てます。
お手本が本物、という点がとてもはっきりしている。

でも、音楽はそういうのがあまりなくて・・・
着地点がわからずに作り始め、ゴールもたどり着いたのかどうかわからない。
いや、わたしの場合は楽器を持つ前に脳内であらかたの構成は作ってしまうので
ふわりとした出来上がりの絵は持ってから始めるのですが、でも、
時事ネタ的ですが拾ったデザインのトレース、のようなこともしていないし
(どこかにあの曲の空気を、とかそういうベースは多少あるのですが
 それは簡単にわからないぐらいには消化していると思います。
 もし何かの曲に似ている曲があるとすれば、それは偶然か、聴く方の捉え方です)
ミックスを延々とやっていて、思いつめると本当にどれが良いのか全然わからなくなってくる。

性格的なものもあって
ミックスも人形も、延々と手直しし続けてしまいたくなるので
少し時間をおいて改めてみたときに修正点が無ければ出来上がり、としています。
人形は時間をおいて見ても可愛いのに、音楽は・・・
聴くときのコンディションや環境でよくないように感じてきてしまう。
自分のものだけでなくて、どれだけ好きなミュージシャンのものであっても
ものすごく響くときとそうでもない時がある。

ここに、音楽がカネにならない理由のひとつがあるのかもしれないですね。
目に見えなくて、危うくて、絶対的な価値が無い。
皆がいいと言う、という位しか価値のつけようが無いと思うのです。
だから音楽を共感できるひとは、他のものを共感できるひとよりも
余計に親しく感じてしまうのかもしれないし
自分にとってすごく特別な友達だと思ってしまうのかもしれない。


☆余談ですが、デザインのトレースのあの件で、
 テレビのワイドショーで
 音楽も同じで元ネタに似せて作る
 とか、本当に新しい音楽なんて無いから、とか
 そういう事をしたり顔で言っていたコメンテーターは
 まったく意味がわからなかった・・・
 曲を作るというのは、そういうことではないです。
by wankorosan | 2015-09-08 17:57 | ヒトリゴト