涼やかな風の吹く街

昨日はお天気がすごく良かったので、犬の散歩がてら登山してきました。
たまたま今住んでいる家のすぐ近くに登山口があるので、月に数回登っているのですが
もし近所であってもここに住んでいなかったら、一生山登りなんてしなかったと思う。
引っ越す前にいくつか候補の物件があったんだけど、ここでないどこに決めていたとしても、たぶん。

登山といっても階段が整備されているし、階段登ったら平坦なハイキングコースだし
そもそもの家の位置が山の途中みたいな場所なので、普段着でふらりといけます。

山の中は当たり前だけど誰もいなくって静かで、少しさみしいような感覚になります。
もしここから出られなくなったらどうしようかなっていう、うっすらとした不安が
より一層さみしさを倍増させる感じで、
これは海でも街でも味わえない気分なので、山に全く興味がなかった自分ですが
今は結構山の中が好きです。

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言い尽くされた言葉なんだけど、ここは海と山と街のバランスがほんとうに心地よい。
思い立てばその時にすぐに海を見にゆけるし、山の中にも入れるし、
街で雑貨をみたりハイレベルなパンやケーキを買ったりできる。
日常を流さずに、きらりとした瞬間をきちんと捕らえてそれを素晴らしいと言えるようになりたいです。

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ときどき、無性に雪舟えまさんの文章が読みたくなるときがあります。

先日、たまたまゾゾタウンで買い物をしたら、オンラインの本屋さんのクーポンがオマケについてきて
それならば、、、と雪舟さんの「幸せになりやがれ」の電子書籍を購入して読んでいたら
久々に小説にどはまりしてしまいました。

わたしは本、とくに小説をいったん読み出すと、最後まで読みたくて仕方なくなってしまい
読み終わるまでの間、他のことに手がつかなくなってしまい
しかも読んだ本の余韻にすぐさま影響を受けてしまうタイプなので
一度の読書が結構疲れてしまうんですよね。
入り込みやすいので、少しずつっていうのが出来ない。
なので中々気軽に本を読み始めることができなくって、気づけばあまり物語を読まなくなっていました。
いつでもやめられるエッセイ系のものばっかり手にとっちゃう。

でも読み始めたらやっぱりテレビを見るより映画を観るよりネットをみるよりも
小説を読むのは楽しいもんです。
マンガでも同じかな。
小さいころから本を読むとマンガを読むは自分の中で同等で
今とちがって、やらないと生活が立ち行かなくなるような「やるべき」こともなかったし
親から特にマンガや本を咎められることは無かったので
いつもどちらかを読んでいるか、その余韻に浸っていた。
割とフィクションとノンフィクションの境目があいまいな感覚で過ごしていたような気がする。

昔は純粋に楽しくて本を読んでいたんだけれども
いまは、曲を作ると歌詞をつけないといけないので、その糧になったらいいなっていう下心があります。

雪舟さんの文章はそのまま歌詞にできるぐらいに美しくって、そして文脈や展開が自由。
その流れでひさしぶりにスリリング・サーティーを聴いていたら
このひとは歌の詞を書いてもやっぱり美しくって自由な言葉づかいをするなあと、しみじみ思いました。
(余談ですがあのバンド、曲もアレンジもセンスが良いですよね。フレンチポップの美が満載。)
彼女のクリエイションに小さいけれども翼をもらった気がして
気分が良くなって気まぐれに本当に小額、noteに寄付してみました。
すると割とあっという間のタイミングでありがとうの反応があって
「速さは愛」ってこういうことかと。

わたしは彼女と同い年で、誕生日が2日しか違わないのですが
そのことで勝手に一方的に特別な親近感を抱いています。
同じ世代体験をしていたり、いまは東京を離れて静かな街で創作活動をしていたり。
たぶん文章がとても上手だからだと思うけど、
読んでいて分からない伝わらない部分が全く無くって、これは自分だ、と思うこともよくあります。

SNSやnoteで、あまりにも日常すぎる日常も紹介していて、
その中のきらりをきちんと文章にしていて、
フィクションとノンフィクションの境目が曖昧で
そういう人、さいきん中々いないので有難く受け取っています。
なんかもっとちゃんと寄付すれば良かったなあ。
noteだと直接本人に現金、だもんね。合理的。
今はわたしは自分のことで精一杯なので、一区切りついたらまた改めて寄付しようと思っています。



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# by wankorosan | 2018-10-19 12:33 | 日常な感じ

青春キラリ

こないだテレビで初めてみたんだけど、フジファブリックっていうバンドは結構好きかもしれない。
あと最近のバンドではバックナンバーの曲も良いとおもったのがあった。
青春のキラリとした空気、瞬間を閉じ込めたような曲が昔から好きです。
ちょっと前だとスピッツだったのかもしれないけど、
自分がぜんぜんJポップを受け付けない時期だったのでタイミング悪く全くはまらなかった。
もっと昔の曲で言えば、大江千里さんの「プールサイド」とか「ボーイミーツガール」とか。
メロディラインと言葉と声とアレンジが一体になって
キラリ、のまさにその瞬間をそっと音楽に閉じ込めている感じ。

実際に高校生時代とかに、自分がそういうキラリとした瞬間を体験したのかどうか、というと
うーん、なんかそういうピュアな感性が昔から欠けていたというか
早熟だったから小さいころから青春時代に関する小説とか漫画とか読みすぎてて
ああ自分っていま、青春時代なんだな、、、って思ってそうすると
変に客観的になっちゃって、「青春時代を感じないといけない」という気分になって
結局は醒めた感じで心からはのりきれない、はしゃげない日々をすごした気がする。
結局、歌になるような青春を感じるような瞬間って無かったし
今ふりかえると、大学生の頃に誰かの家で皆でウダウダと鍋とか飲み会とかやったりとかして
疲れたらその場でそのまま寝て、、、、みたいなのが若さだったのかな。

それでも何だかピュアでノスタルジックな香りのする「青春のキラリ」に
いいなって思えてくるのは不思議なもんですね。

ところで話は変わりますが、もう8月頭ぐらいだったかなあ
おにまる夫妻から1通の葉書が届きまして、地元の高知に8月の終わりにお店をオープンしたらしいです。
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葉書が届いたときにはオープンする、というお知らせだったんだけど
いまはもう1ヶ月ぐらい経ちます。
大阪で店長としてやっていたお店のお料理が隅々まで丁寧ですごく美味しかったので、
このお店も絶対に美味しいと思います。
高知に行かれたさいには是非。

で、高知市内にはまだ行ったことがないので
どんな感じの街なんだろうかとお店の住所を検索してストリートビューで見ていたら
(失礼ながら)思いのほか開けていて、
都心部に地元の百貨店があってアーケードの商店街が伸びている、という
ものすごく自分の好みの地方都市でした。
しかも街のそこかしこに南国の雰囲気の名産品を売っているお店とかあったりして
旅情もばっちりでした。

こういうその街独自のカラーが残っていて、ちゃんと都市として機能している地方都市が
昔からすごく好きで、
ちょっとぐらい寂れていても、そこで暮らすひと、特に若い人たちがカルチャーを持っていて
チェーン店ではない小洒落たカフェや雑貨屋とかセレクトショップとか本屋さんがあったり、
街中に川が流れていてそこのほとりにお店があったりしたら最高。
自分の街に対する思い、が溢れてるUターン組みたいな若い店主がちらほら居たりしてね。
鳥取とか岐阜とか米子とかすごく良かったな。
街がコンパクトだから全てが自分の手に収まって、自分の街っていう感じがする。
そういう街を歩くのが好きで、いつもここに住んで生活したらどんな感じなんだろうって思って歩いてる。

大阪に住んでいたときにも、街の規模は割と大きかったけれども
自転車でどこにでも行けるしライブハウスはあるしお洒落なお店も安いお店も何でもあった。
自分が住んでいた周りは特にアッパーな感じで、
クリエイターや料理人がこぞって新店を出すような場所だったから、
新しい刺激的なお店がどんどん出来ていって街は刻一刻と変わっていた。
それが全て自分の身の回りで完結していたからどこに行く必要も無かったし
関西ローカル情報の雑誌やテレビを通じて、今度何が出来るとかも把握できてた。
新しく出来る施設だって大体徒歩圏内だったりチャリで行けた。

でもやっぱりバンドをやっていて、知っているひとが沢山居たっていうのが大きかったのかな。
自分の街っていう実感がすごくあったし、一生ここに住むものと思っていたから
離れるのはものすごく不本意で寂しかった。
今は大阪の街も少し変わってしまっているのかもしれないですね。
「わたしの街」という言葉は、それがどこであれ、結果、嘘でしかないのだから。。

東京では四谷三丁目っていう、
東京で会う人に話すと「わあ都心だね」ってとりあえず一言目に言われる所に住んでいた。
でも5年も住んでいたのに、何だか全然自分の街っていう気持ちにならなかった。
結局、四谷三丁目には自分が欲しいものは何にもなくって
買い物に行ったり遊びに行くのは電車に乗らないと行けなかった。
徒歩で行けた新宿は人がとにかく多すぎて全然馴染めなかったし
割と好きだった銀座や有楽町、丸の内界隈はいつでも余所余所しかった。
テレビや雑誌で新店オープンなんていう情報を目にしても
結局、安いお店は人気で入れないし、高いお店は高すぎて入れなかった。
阿佐ヶ谷とか高円寺とか辺りに住んでたらまた東京に対する印象も変わったのかもしれないな。
それかあと10年ぐらい住んでたら、、、
(でも実家が近いのは良かったです。安心感があった。)

自分がもし東京で生まれ育っていたら、いやせめて学生時代を東京で過ごしていたならば
もっと特別な思いを持ったのかもしれないけれども
大阪に住んでいた時に完璧な都市生活を経験してしまったがゆえに何の感動も無かった。
大阪に無くって東京にあるものって、国の施設とかメディアとかそういうものだったけど
あまりそこに興味は無かった。
だから関西出身の子で東京に住みたいっていう話を聞くと??だったんだけど
たぶん自分の価値観では東京にしかないものが無かったってだけの話だろうと思う。
買い物ネットショッピングだし、ライブは関西の方が観たいものが多いし、美術館もあんまり行かないし。
結局、自分も含めて地方から来たひとたちの集まりなので、その垢抜けなさを街に感じてしまった。
垢抜けなさ、は気負い、とでも表現すればいいのかな。そういう感じ。

地方都市が堪らないのは、無理せずに肩の力を抜いてそこに地をつけて日々を送っている人たちが
はっきり目に浮かぶところだな。
ボルゾイレコード、一度しか行ってないけれども、前垣さんの生活感に溢れていて
ああこの人ってここで生きてるんだってすごく感じた。
自分も学生の時にここのお店に通っていっぱい音楽教えてもらって人生変えたかったな、とか思った。
岐阜のお洒落なカフェでは、隣の若い女の子が自分は名古屋じゃなくって岐阜が好きってしゃべってた。
その街独特の文化と空気。今の暮らしとはまた違う景色。自分の知らないスタンダード。
日本中の色んな地方都市の都心部に1ヶ月ずつぐらい、ちょい住みしてみたい願望があります。
しかも今はネットで何でも発信できるから、経済的な基盤さえあれば断然地方の方が豊かに暮らせると思う。
その経済的な基盤が地方では難しいんですが(笑
ほんとうに、ほんとうに地方って仕事が無いしお給料が安いよね。。

自分の初めての地方都市体験って当然ながら地元の街で
小学生、中学生頃から既に街歩きのやり方はたぶんあまり変わっていない。
友達を誘ってわざわざ近隣の市街まで電車に乗って行ったりしていた。
今はイオンの巨大なショッピングモールが出来てしまって、そこに全て吸い取られてしまって
街は完全にひからびてしまっているけれども
自分が高校生ぐらいまではちゃんと地方都市的な佇まいを持っていた。

泉麻人さんの本を愛読していたので、地元の街を当時憧れてた東京の街に見立てて
雑貨屋さん、あそこに行って次はあそこに行ってその次は買えないけど洋服屋さん見て
古着屋さんも見てみて、あと途中で西武デパート入って・・・・
って頭の中でルートを組み立てて、一応その時出来る最大のお洒落をして出かけてた。
そこで働いている人は自分の中で最先端だったし、いいな都会だなって思ってたな。
東京も行けない距離じゃなかったから何度か遊びに行ったけれども
緊張しすぎて地元の人っぽく振舞うのに必死であんまり楽しめなかった。

小さい街でめいいっぱい背伸びをして歩いていた記憶がいまだに残ってて
それで小ぢんまりとした街が好きなのかもしれないな。





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# by wankorosan | 2018-10-02 12:47 | ヒトリゴト

秋のせい

まさに怒涛、と言えるような夏がやっと終わりました。
西日本豪雨の大雨と雷から始まって、雨が止んだら猛暑、
そして大きな台風。
犬がいると天候に人一倍敏感になってしまうのは仕方ないんだけど
加えて、うちの犬は犬一倍天候に敏感で、
部屋に居て雨音がしただけで怖がってしまう。
雷なんて一度ゴロゴロが鳴っただけで1時間ぐらい震えてしまう。
大雨と雷が3日以上も続いてしまったせいで、
元々の雨怖がりに拍車がかかって、しばらくはずっとベッド下に引きこもりっぱなし。
しかもベッドがある部屋にはエアコンが無くて、熱中症も心配になり
小さい冷風扇(気休め程度の冷風だけど)を購入してかけてあげたり色々やってたけど
犬、人ともども相当に神経と体力を消耗してしまった。
さらに追い討ちをかけるように、夏場の浜辺の夜は花火をやっていたり音楽が鳴っていたりして
その音が坂を上って耳の良い犬には聴こえてきていたらしく
夜になったらなったで、外の音が怖いとまたまたベッド下に引きこもり。

やっと念願の秋が来て、自分も犬もぐっすりと眠れるようになり、一息ついている感じです。
秋は秋で雨が降らない日はないんじゃないか?ってほど降るけれど
それでも夏よりは全然マシ。。ベッド下に入られても熱中症の心配要らないし。

そんなこんなで、暑さがひと段落した頃にようやくアルバムをすすめようか、という気持ちになりました。
お盆前ぐらいだったかな、、、
まっつんに仮ミックスの状態まで出来上がっていた音源をトラックごとにwavにして渡す
という約束をしていたので(どうも仮ミックスがイマイチだったらしくてやり直したいらしい)
それをやろうかな と、久々におっかなびっくりで仮ミックスを聴いたのですが
何しろ歌がイマイチすぎて、録りなおすことにしました。
自分の歌の力量の無さと、自分の曲が微妙に難しくって、
とにかくピッチを外さないように頑張って歌ったのですが、それに気をとられていて
なんかガチガチに緊張して歌ってるのが伝わってきました。
多少のピッチのズレよりも、質感をもっと重視して歌い直そうと録り直しに入りました。

これは自業自得で、ちょっと頑張れば解決できるかもしれないのに
全然頑張らないのが悪いのはわかっているんだけど、、、
約束が何もないからモチベーションが全くあがらない、と何度となく愚痴っていたのを
気遣ってくれたのか
須原さんが歌入れが終わったら一緒にミックスをしてくれる、と約束してくれたので
完全にそれを励みにしてとりあえず一通りは録ってみました。
ちょっと寝かして、また再び聴いてみて手直しするつもりです。

もうバンドで録音したものに関しては、何となくのゴールが見えてきた気がするので
もう1枚製作するやつに取り掛かろうと、今は曲を作っています。
猛暑に入る前に数曲作ってたんだけど、それも入れるかどうか。。

話はがらっと変わりますが、アプリで「カコミエール」っていうのがあって
ツイッターで自分がちょうど1年前、2年前、3年前、、、の今日に投稿したものを
毎日見られるというものなのですが
何度も日記をつけては挫折している自分にとって、
ちょうど○年前の今日は自分はこんなことを思ってたのかという日記代わりになるので
ちょっと面白く使っています。
それもあって、来年の今日の自分のためにと、出来るだけ1日1つは何かつぶやこうと思ったりして
ここしばらくは敢えて書かなくて良いことは書かないスタンスを取り続けていたのを変えてみています。

自分が昔のブログを読んで、何買ったとか何食べたとか何したとかはツイッターでいいじゃん
って思ったのを思い出して、それも記録してみようかなあと、、、
ただ、自分の性格上、何か簡潔に物事を綴るっていうのができなくって
アレも書かないときっと誤解されてしまうから、付け足さなきゃ!って思って
どんどんスレッドが長くなってしまって結果、連投がうざい感じになってるんだろうなあ
という自覚はあります。
わたしも自分にとってどうでもいい事を連投されると結構うんざりするタイプなので
そこはスマートに出来たらいいんだけど、性格が。

先日、流れで
チラリと、最近は曲を作っていても楽しさよりも辛さが勝るということを書いたのですが
見事に共感はされていなかったっぽかったので、ちょっと笑ってしまった。
そりゃあ、だったら勝手にやめろよ、って思うよね。
わたしならそう思います。
しかし以前にも書きましたが、自分にとってはやめるやめないの問題ではないので
曲を作ることはやめません。
時々、今までも楽しさより辛さが先に来ていた時期があって
そこを超えたら確実に一皮剥けた経験があるので、まあよくある壁なんだと思います。
なんかねえ、、、どんな曲を作ったらいいのか分からないんですよ!!!
作りたい曲が無い。
なりたい自分が無い。

わたしはレコード屋さんや音楽評論家という人種がすごく昔から嫌いで、その一番の理由が
自分自身は何も生み出さないくせに、
誰かの作った曲を聴くと「ああーーこれはアレの系統だよね。○○が好きなんだろうね。」
って、簡単にカテゴライズしてそれで分かった気になって終わらせてしまうところです。
それか、よく分からないカルティックな持ち上げ方をして神格化するか。
ただのリスナーなのに、、、人の作ったものを主観的に解釈しただけで、何かを成し得ている気になっているのが嫌い。

なのにその文化に一番囚われているのは、他ならぬ自分自身なんじゃないか
と 最近ふっと思うことがあります。
他の人の曲を聴けば、これは○○の影響があるんだろうなと思ってしまうし
自分の録音も、人が聴いてどう感じる音楽なんだろう?と、まず考えてしまう。
アルバムを作っていても、これをもしレコード屋さんに置いたらどんなPOPをつけられるんだろう?
とか、つい考えてしまう時期があります。
どうせ期待した感じの事は書かれないから、やっぱり知らないところに置きたくないなって
勝手に先走って妄想までしちゃう(笑
そんなのどうでもいいやって心から思って突っ走れる時期もあるんだけど、季節のせいでしょうかね。

自分が思っているように他人は自分の音楽を聴いてはくれないし
自分の思っていないような伝わり方をすることもある
音楽はただそこに存在するだけ
という呪文を唱えてから曲を作ったり録音する癖をつけたいです。


あ、付け足さないと誤解されるだろうから付け足しますが、、、
正確には作りたい曲が無いんじゃなくって、こういう感じのをやりたいっていうのが沢山ありすぎて
何を聴いても、ああこういうの格好良いなって思っちゃって。
絞れないし力量も足りないし、ブレまくっていてどうしたらいいのか分からない
っていう感じです。
根は枯れてはいないみたいなので、いつか芽吹く気がします。


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# by wankorosan | 2018-09-27 12:31 | 音楽とか

やさしくてやわらかくて

パソコンがネットに繋がるときと繋がらないときがあって
おそらく回線が切り替わったので今使ってるルーターとパソコンとの接続設定が変わって
みたいな感じなんだと思うんだけど
でも繋がるときもあるし、メインで使っている iPad は新しい回線をちゃんと拾うから
まぁいいか という感じで、ずっと放置していました。
困るのはyoutubeとこのブログの更新ぐらい、、、と思っていたのですが
持ってる筈のCDをもう一度itunesにリッピングしようとしたら、当然ながら曲名が出てこない。。。
しかも柴犬を作る時の参考画像も簡単に検索出来ないし、やっぱり地味に不便が重なってきました。
不便を訴えて5Gが拾えるようになるアダプタを買って貰って、先日やっと解決しました。
回線も速くなって快適です。

という言い訳を長々と書きましたが
遅ればせながらゑでぃまぁこん様のEPの感想を綴ります。
入手したのは2ヶ月ぐらい前なのですが、リリースは昨年なのかな。

「白昼夢狸(はくちゅうゆめだぬき)」
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盤面に書いてある”福神到!狸神到!”は中国語なのかな?っとグーグル翻訳したら
”神への祝福!アライグマの神!”って出ました。
きっと・・・深い意味は無い気がします。
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「横綱相撲!」という言葉が真っ先に思い浮かびました。
1曲目の1音目からいきなり引き込まれて、もう良くて、間違いないんだもん、、
ノスタルジックでリリカルで楽しくてさみしくて夢のように儚い世界。
ごく個人的な視点から観ている世界なのに、誰のこころにも共鳴するのが素晴らしい。
音でいうとこのアルバムは随分とリバーブが薄いんですね。
そのぶん歌が近くなって立体感があって、ぐっと歌の世界に入り込める気がします。
わたしも新しいアルバム、リバーブをいかに薄くできるかをテーマのひとつにしています。
(もうアルバムについてはひそかに心が折れかけています)
横綱が横綱でい続けるのは、誰もが知っているとおり簡単な事ではないんだけど
横綱である気負いも無く、次の壁を軽々とぴょんぴょん超えていってしまう感じ。

これだけ長年コンスタントに曲を作り続けていて、
ライブ沢山やって、お休みしていてもその間はちゃんとアルバムを作っていて
とにかくずっと活動をし続けている。
それなのにまだまだ行き詰まり感がなくてバンドとして変化・深化をし続けている。
本当にすごいと思う。
そして
音楽や他の人たちや自分たちを取り巻く環境たちに
一切愚痴や批判をしないで第一線を走り続けるのって
なかなか出来ないことです。
自分やまわりの音楽を続けている人たち、音楽から遠ざかっている人たちを見ていると
それがどれだけの奇跡的なことなのかと思う。

話逸れますが、
長年良い音楽を作り続けている人でやっぱり他人の悪口や批判を一切出さないひとが
他にも何人か自分の周りに居て
昔はそういう人って自分が恵まれているから悪口を言う必要がないんだって思っていたんだけど
そんな事ではなくって、、、
きっとそうしようと思って、そうしてるんだろうと
そんな簡単な事を今更ながら理解できるようになりました。
遅いよねw
遅いんだけど、他人ってこうなんだという想像力が欠如しがちなのは自覚しているので
「思いやり」というこころが自分には足りていないというのも自覚しているので
ようやくそのことを自覚し始めたっていう感じなので
せっかく自覚し始めたんだから変えてゆきたいです。

他人や周りの批判をしない、とりあえず否定したりとかしない
というのは自分には到底出来ないことです。
もう単純に尊敬です。人を嫌な気持ちにさせないってすごく大事。
今日からもう自分もそうなりたいって何度も思うんだけど、いつのまにか批判言っちゃうよね。。

とても優しい目線で描かれている音楽を作りつづけている
ゑでぃまぁこんというバンドを近くで見続けていられるという幸せ。
ゑでぃさんの経験値がそのまま曲の深さとなって反映されていって
そういう意味ではシンガーソングライター的な見方も出来るのかもしれないけれど
やっぱり素晴らしい(本当に精鋭って感じ!)メンバーの音や呼吸が合わさった
演奏、曲、隙間、それがこのバンドの醍醐味だと思っています。
今製作中だという新しいアルバム、本当に楽しみ。

生活と音楽は切り離されるものではなくて、ひと続きで続いてゆく。
というスタンスを、わたしは彼らから学びました。
そのおかげでやってゆけている部分も少しあります。

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# by wankorosan | 2018-06-13 15:41 | 音楽とか

ずれてゆく

むかし中古レコード屋さんで買ったビーチボーイズのレアトラック集を聴いてました。
レアトラック集、というか、おそらく誰かが
曲のデモやsmileを録音したときのアクトテイクが入ったデモテープを持っていて
それを本人には無断でCDにしたものなんだと思う。
時期としてはその辺りのもののようです。good vibrations のごちゃごちゃした断片も入ってる。
ブライアンウィルソンが曲を作っているメモ的な録音も入っていて
何度も曲は途中で中断されたり、ちょっと戻っては何度も同じフレーズを繰りしたり
それを聴くのが好きで、何年おきかに聴いています。
音質は最悪も最悪で、セッションやデモも途中でぷつりと終わったりしてしまうんだけど
それにものすごくときめきを感じます。
ロウファイ、という言葉にしてしまうとすごく陳腐に思えてしまうんだけれど
綺麗に完成されてパッケージングされた、達者なものよりも
いびつで荒削りだったり、ふらふらして危なっかしかったり、少し完璧からずれているもの
それに堪らなく魅力を感じてしまって
そういうものを聴くと、ああ自分も作ろう、作れる、と思い直すのです。
のちにブライアンウィルソンが完成させた Smile よりも、
何じゃこりゃ感のある Smily Smile の方がぐっとくる。

もしかすると、それは、完璧なものを耳にしてもこれは無理だと思うから
未完成なものを聴いたらこれなら出来ると思ってしまう、だけ、、、
なのかもしれないんだけれど
綺麗に仕上げられたものを完成させて、ああ綺麗にできたって思って
それ以上の感情が湧き上がるような気がしない。
作られたものの中にある煌きが、どんどんこぼれ落ちてゆけるだけの隙間が欲しい。
自分の予想を超えたものにしか、心は動かない。

話は変わりますが
昨日、テレビで今時の10代の子が好きだという
youtubeとかネット配信なのかな?そういう場で歌を歌う「歌い手」さんの特集をやってました。
曲もオリジナルで作っていたりして、歌も上手いしすごく楽曲としてもレベルが高い。
ああ時代は紛れも無く2018年なんだなと思ってみてました。

アニソンというものをあまりきちんとは理解していないのですが
そういうイメージの曲が多かったです。
とりあえずテンポが速くってリズムが複雑で展開がプログレッシブでメロディの高低差もすごい。
わたしがもし、今10代だったら、そういう方向へ興味を向けていたんじゃないかと思う。
あれを歌いこなすのすごく難しいんだろうな。。
なんて思いながら聴いていたんだけれど、まんま最近のJポップなものも中にはありました。

わたしが音楽を作り始めたとき、そして今でも、心の中で絶対的な指標になっているのは
60年代、70年代のカラフルなポップスたちで
異論いろいろあるかと思われますが、自分の中ではその辺りの年代で
みんながポップで気持ちよく感じるメロディというものは出尽くしていると結論を出しています。
本当に新しくて且つみんなが気持ちいいメロディってポップスではもう出てこない。
電子音楽なんかの「音」では、まだまだ可能性はあると思ってるんだけど。
自分もそうだし、今ポップスの範疇で音楽を作っているひとのメロディは
全てその様式の中にあって、乱暴に言えば焼き直しだと思っています。

わたしの年代のおそらくプラマイ10歳ぐらいは
どんどん好きな音楽のルーツを掘り下げてゆきたくなり
そして60年代、70年代音楽に辿り着いてしまう、というのが定番ですが
10代ぐらいの「歌い手」から入った子たちって、そんな昔の音楽まで遡らないんじゃないかな。
もうそんな昔を夢見て音楽を作っていく人は減ってゆくのかな・・・
なんて事も感じました。
検索しちゃえば昔の音楽だってすぐに聴けちゃうし、そうやって耳にした古い音楽は
音も悪いしアレンジも古臭いし秩序だってなかったりするように聴こえるんじゃないのかな。
キラキラで刺激の強くて複雑で感情のわかりやすい今の曲の方が良い。
簡単に手に入るものには、憧れは抱き難いものだから。

我が家には、90年代に発行された音楽雑誌サブカルチャー雑誌ファンジンが沢山あるんだけれど
当時20代だった自分はそれを読んで、まだ知らない世界が沢山あって音楽や文化を沢山知っている人が居て
自分もそうなりたいし、そうする為には沢山レコードを買って雑誌を読んで情報を仕入れてゆかなきゃ
と、何も知らない自分、知らないということに焦りを感じていたものです。
それらを捨て去ることは出来ず、さいきん録音や練習の合間に何となく手にとって読み返すんだけれど
もうそれらを執筆していたライター陣よりも気づけば年をとってしまいました。

そして今感じることは、その「何でも知っている」ライター陣の虚栄、、、
彼らもまさか、20年後には、自分が書いているインタビューの殆どが
フェイスブックによって本人から直接発信される情報だったり
得意気にレコメンドした誰も知らない名曲をサウンドクラウドやyoutubeで簡単に聴けたり
長々と書いているそれらしい思索や論理はツイッターで簡単に論破されたり している
なんてこと、夢にも思わなかったと思う。
だから誇らしげに自分の知識をみんなに教えてあげられていた。
知っていること、持っていることがそのままプライドに繋がっていた。

はっきりと時代は変わったんだと感じること、本当によくあります。
携帯電話とインターネットが現れて、もう情報や知識には価値がなくなってしまい
根底から価値観が変わってしまった。
だからといって自分が思う美しさが変わるものではないんだけれど。

速いテンポでプログレッシブに展開する曲を見事に歌いこなすのは
面白いな凄いなとは思うけど、好みではないし何も響かない。
ついでに言うと、番組中で出てきてたPが「上手く歌えたところを組み合わせて編集する」
という発言をしていたのも、自分としてはイマイチに感じた。
演奏はDTMだから失敗は無いし、歌もピッチをいじってより完璧に近づける。
そうじゃなくって。。。
そうやって楽譜通りに演奏された曲の、その仕上がりを愛でる感覚が自分には無い。
つるつるに仕上がったら、心のひっかかりが無くなっちゃうんじゃないのかなあって
その人の心にある、微妙で静かな心の揺らぎが良いんじゃないのかなあって
そういうセンスがもう古臭いのかもしれないですね。でもいいや。

わたしはロウファイとかヘタウマいう言葉、むしろ嫌いぐらいなのですが
自分の琴線に触れるひっかかりは未完成のものの中にあって
それを聴くと心に翼が生えた気分になるのです。
でもそれを下手でも良い、の言い訳にはしたくない
という気持ちも、今の自分にはあります。

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# by wankorosan | 2018-04-20 12:41 | 音楽とか

犬の親

サウンドクラウドに新曲をアップしております。

先日、コンデンサーマイクを購入しまして、それで録音しました。
コンデンサーマイク、世界が変わりますね・・・
今までのマイクと比べると、iphone の機種を二世代ぐらい新しくしたカメラ、ぐらいの解像度の違いです。
単純にゲインが稼げるというのもあるのですが、音量を下げても歌が埋もれないです。
その代わり、歌の細かいニュアンスまで拾ってしまうので、雰囲気だけで押し切れない・・・
あとギターも同様で、ピッキングの粗もきっちり拾います。
元々、5・6弦が響きすぎるのでコンプかけて馴らしてみてます。
全体的に音質はレベルアップしたと思います。
今までは音圧だけを人並みになんとかあげて誤魔化していた感があるのですが、ちょっと奥行きが出たような。

アップロードしたのは20日ほど前だったのですが、
犬が入院したり何だと余裕がなくてブログに掲載するのをすっかり忘れていました。
ワンコは急性膵炎だったのですが、現在はすっかり元気になりました。
生き物を飼うと、そばに居たらいたで心配が絶えないし、居なかったら居ないで心配が絶えない。
せっかく犬が居ないのだから、自由に外出できるし、
と思って気分転換に美術館へ行ったり、ちょっとバイトを大目に入れたりしましたが
心の中のどうしようもない不安はどこへも行きませんでした。

人の親にはなりませんでしたが、犬の親になってみて
得たもの、失ったもの、ともにいろいろとあります。
何かを勝ち得るとは何かをなくしてゆくこと。


新しい曲について。

わたしは毎晩夢をみていて、その夢にはいくつかパターンがあります。
いつも知らない街で、今住んでいるところとは違う家に住んでいるんだけれど
夢の中ではその街のことはよく知っている。
行きつけの喫茶店があったりする。
いつも長い商店街で迷子になっている。
そして、何かの約束・・・ほとんどの場合、行きたくなかったピアノのお稽古・・・に
もうとっくに時間は過ぎているんだけれど、本当はもう辞めるって言いたいんだけれど
でも、追われるように向かっている。
小さいころ、ずっと一緒にいたカナリアを、カゴを洗うために扉をあけたら逃がしてしまう。
とおくに飛んでいって、いくら呼んでももう戻って来ない。
いつもいつも、同じ夢を何度もくりかえして見るので
もしかするとあっちが真実で、こっちは夢なのかもしれない
と、時々本気で思います。
あちらの日々の間に、こちらがあるのかもしれない。

以前にも書きましたが、わたしは天国・地獄・転生といった概念をあまり信じていません。
でも、全てが夢かもしれない、という感覚はいつもどこかにあります。
逆に夢じゃない、なんて誰が完全証明できるのだろうか。

もうひとつの曲。

テレビで宮崎市だったかな、街中に誰でも弾けるピアノが置いてあるんだそうです。
そのピアノは大人気で、みんな気軽に弾いていくらしくって
でも家で弾くのとは違って誰かに聴かれているという緊張感が堪らないんだろうな。
わたしもそこへ行って、適当なピアノを弾いたり
誰かが弾く渾身のピアノを耳にしたりしてみたいです。

音はすぐに消えてしまう。二度と同じ曲は聴けないピアノの演奏。
その、消える前の1秒を抱きしめる。
結局 音は消えてしまうんだけれども。。。
でもその音の余韻で遠い記憶が蘇る。
柔らかい陽射しのなかの。

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# by wankorosan | 2018-04-19 14:26 | 音楽とか

春 何かを連れて歩いて

先日、三浦カヨちゃんがカセットテープをリリースしました。
レーベルオーナーでもある、けいくんからカセットテープをいただきまして
早速聴きました。
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ジャケもピンクで春らしい感じ。
パッケージの可愛らしさと、カヨちゃんの可憐な雰囲気の歌声がよく合ってます。
カヨちゃんは三味線を弾きながら、日本の昔の歌(長唄)を歌ったり
オリジナルの曲も三味線で作ったりしています。
わたしは長唄というものに全く無知なのですが、
江戸時代に作られた楽曲に
電子バイオリンや口笛、ボンゴなど、おそらく長唄とは普段無縁であろう楽器が重ねられて
すごく面白い解釈でオリジナルなものが出来上がっていると思います。
そして何よりもカヨちゃんの自作の曲が不思議で良いです。
独特のテンポの取り方、そしてその揺らぎにそっと寄り添って深めてゆくようなボンゴやチェロ
時折シタールにも聴こえてくるような、無国籍感のある三味線のフレーズ
そしてカヨちゃんの春を感じさせるような歌声。
でも全体的な響きはお正月感のある日本的な晴れやかさがあって
お花見の時なんかに流したらいいなぁと思います。

わたしは自分の予想の範疇に収まらないようなミュージシャンが好きで
カヨちゃんもまた、とても自分にとって刺激的な存在です。
可憐でしなやかで芯の強い、人となりも好き。

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遅ればせながら、先日の加古川でのライブありがとうございました!
全く初めての場所なのに、みんな暖かかったです。
初めて演奏する場所だと、必ず最初の数曲は上手く出力できなくって
そこが自分の課題だなぁとあらためて実感しました。
こればかりは場数と練習の数なのかもしれません。

ライブの翌日、まっつんとけいくんに三枚目アルバムの録りなおした歌とギター入りを聴いてもらい
一緒に再ミックスしました。
6曲とはいえ、集中力がなかなか持たない・・・・
全体的にリバーブを削って、音も削って、できるだけシンプルに
だいぶスッキリしました。

この再ミックスの為に、しばらくずっと歌録りをしていたのですが
やっているうちに歌うことに対して迷宮に迷い込んでしまいました。
元々、さほど自己表現として歌うつもりではなくって
どちらかというと楽器のひとつとして歌を捉えているのですが
やっぱり人に聴かせるにあたって、それなりのクオリティまで持ってゆきたい。
でも中々、、、思うようにはならないですね。
人に聴かせるためのクオリティと、自分が本来好みの、力のこもらない感じの歌と
それを両立させるのがすごく難しい。
別にポップス歌手みたいな感じで歌いたい訳じゃないのに
聴くに耐えるように、と思うとつい気合が入ってしまう。
更に今回はリバーブを極力薄くしてゆこう、などと思っているので余計に難しい。
すっぴんが美しい人は相当綺麗な人な訳で。。
大して上手くない歌を聴かせる為には、ナチュラルメイクぐらいしないと厳しい。
まだこの問題については解決していないです。
たぶん力を抜いて歌ってもそれなりに聴こえる人は、相当歌が上手いんだと思います。
なので本気でボイストレーニングでも行こうか、と思ってしまうぐらいに悩んでます。
歌は録れば録るほど、それなりに良くなっていってる気がして
そうするとここで完成!との決め時が分からない。
もっと練習して、また録りなおしするかもしれません。

いずれにしても、自分は歌手でもないし、どちらかというと曲を作りたいタイプなので
ここでごちゃごちゃと悩んでいるのも何だか勿体無いような気がします。
アルバム、2枚組にしようと思っていて
6曲入りのバンド録音と、もう1枚は宅録で10曲ぐらいと考えていますが
まだ1曲も録音してません。勿論曲を作ってもいない。
宅録のほうのアルバムは、あんまり歌を前面に出さないようにしてゆこうかなあ。

さいきん、何となく自分に足りないものが分かってきたような気がします。
はっきりと何かが足りないから魅力が足りなくって
だからきちんと受け入れられ辛いのかもなあと。
精進してゆきます。

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# by wankorosan | 2018-03-26 11:44 | 音楽とか