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何かを勝ち得る、それは何かを、無くしてゆくこと

先日、ツイッターだったかネットニュースだったかで大江千里さんの記事を読みました。
10年ほど前に渡米してジャズのスクールへ通って、
現在はアメリカでジャズピアニストとしてインディペンデントレーベルを立ち上げて
自主制作でアルバムを販売して、演奏してまわっているらしいです。

わたしには5歳年上の姉がいるのですが、
そのぐらいがたぶん大江さんのど真ん中世代なのかなぁと思います。
自分としては、最初は名前は知ってるけど、、、という程度だったかな。
でも中学生の頃だったか、ラジオで偶然に耳にした曲(1234の中の1曲でした)を耳にして
そこから一気に彼の曲にどはまりした時期があって
姉と同世代の従姉妹の家に行ったときにアルバムを録音させて貰ったりして
少しずつ、遡って1枚ずつアルバムを集めていって聴いてました。
ピアノスコアを買って弾き語りコピーしたり、歌詞をノートに書いたり。
無意識ですが、今現在に作っている曲の下敷きになってる部分がかなりあって
転調をぽんぽん繰り返したりとか、1曲を小さな宝箱のように作りたかったりとか、
おそらく相当に影響を受けているような気がします。
とにかく良いメロディメイカーなんですよね。
テレビドラマに出演したりするようになってからは、何となく楽曲に惹かれなくなってしまって
結局ある時期のアルバムばかり聴いていましたが、
(「乳房」から「1234」の間のアルバム)
今聴きなおしても、やっぱりソングライターとして凄い人だと思う。
偶然にも彼の曲の舞台である神戸に住むことになって、時々ふと思い出す曲が幾つもあります。
聴きこんでたアルバムは、ほとんどの曲を空で歌えるほど覚えてたのに自分でもびっくり。

と まぁ、元々ものすごく好きな人だったので、興味を持ってインタビューを読んだり
近況を綴っている文章を読んだりしていたら
彼も犬を飼っていて、自分自身で音楽を作り、料理をつくり、生活を送り、という環境に
ものすごく親近感を持ってしまって、ああ分かるそれ・・・と
気づいたら思わずnoteの定期購読をポチっとしていました。
全く違う環境に自分を置いて新しくチャレンジして、辛いけれどもひとつずつ壁を乗り越えて・・・
というストーリーも
自分が東京でギターを弾き始めて、知らない人と出会って、色んな職場で働いて、とにかく辛くも成長した時期と
すごく重なってみえました。
あれだけナイーブな音楽を作っていた人なのに、論理的でユーモアもあって勿論叙情性もある文章で
読んでて楽しいです。
何よりも、ものすごく努力しているんです。あれだけの人なのに。
そしてそれを全く愚痴る事無く、変なパワーポジティブさでなくちゃんと前を向いていて
やるべき事がわかっていてそれをちゃんとやっている
ことを全て包み隠さずきちんと言葉にしています。
読んでいると、それにひきかえ。自分。。とちょっと恥ずかしくなってきちゃいます。
自分の周りのすごく良い音楽を作るひとたちは、どうやって努力して良い曲を作っているとか
そういうのは全く明かさないので、
やっぱり芸能人ってすごい、と思ってしまう。
でもきっと皆、表に出さないだけで、これぐらい陰で努力して素晴らしい曲や演奏を作っているんだと思う。

で、何かを増やしたら何かを減らそうと思って
noteの定期購読をする代わりに、このブログの有料課金を止めることにしました。
地味ですが、実は課金していたんです。広告を消すために。
お金を払っていなければ過去記事がいつ消されてもおかしくないだろうなぁ と
バックアップが出来るので、昔の記事をPDFにバックアップしておきました。
このブログを始めたのはちょうど10年ぐらい前かな・・・
まだその頃はmixiというものが現役で存在しておりまして(笑
それに日記を書き、ジェニーのウェブサイトも存在していたので、そっちでも日記を書き
そしてこのブログでも書き。
内容は薄めですが、割と毎日書いていて、ブログを読む人もそれなりにいた時代。
今はツイッターやインスタグラムがそれに取って代わってしまったのかな。
何買った、何食べた、どこへ出掛けた、の報告は今は皆んなSNSでするもんね。
わたしもすっかりそうなってしまっていて、でもその方が色々良いかなとも。
でも当時は無かったインスタ映え的な概念が定着してしまって、
無邪気にアレしたコレ買ったみたいに書きづらい雰囲気は有りますよね。
たった10年で、いつ何が変わったのかは分からないんだけど、今とはやっぱり違う。

自分自身も10年でなんだかすっかり年老いた感じがあります。
よくよく考えれば10年前だって大して若くもなかったのに、文章を読んだら違うんですよねえ。
今こうして書いている文章も、10年後に読んだらそう思うのかもしれませんが
なんだろ、、、10年前の自分って、すごく楽しそう(笑
ここ10年、自分の環境や思いも180度変わってしまった部分があって
そのときの自分って、まさか大阪での生活をすべて無くして、東京に住むとは夢にも思っていなかったし
しかもその後、神戸に住んで犬を飼って、こんなにぼんやり暮らすとも思っていなかった。

都会の真ん中の綺麗な街に住んで仕事をしてお金をそこそこ貰って、
美味しいものを食べたり綺麗なものを買ったり、新しいお店に行ったり
ライブに行って新しく人と会って、自分もそれなりの頻度でライブをやって、友達に会って、、、
っていうのが、一番の幸せだと信じていたので
今みたいに、仕事してない、お金もあんまり無い、ライブもやらない、人とも会わない
でも犬が居て景色が毎日綺麗で曲作ったり練習したり音楽の事で悩んだりたまに人と会えたりして幸せ
みたいな境地に至ることが信じられない気がします。
どっちが正しいか、というのは特に無いと思うけれども
今の自分には今の生活が正しい気がします。

話は大江さんに戻りますが
彼が日記の中で「自分の日常で溜まった澱を時々音楽や文章にして吐き出す」というような内容の事を
書かれていて、
そこにわたしは大いに共感したのですが、
SNSが幅を利かせている現在、ブログを敢えてがっつり書いてる人、
巡回して読んでいる人ってやっぱりあまり多くなくって
すっかり読む人も少なくなってしまったこのブログに、なぜ自分が文章を書き続けているのかというと
わたしは文章を綴ることで思考を纏めるタイプの人間で、そうするのが単純に好きで気持ちいいから
というのが大きいです。
勿論SNSをやっていない人への近況報告っていう気持ちもあるのですが
たぶんこれ誰も読んでないからなあ。。
もはや自分を表現したり宣伝したりするツール、というものでも無くなってきているような。
たまにしかないライブ告知も飛ばしちゃうことが時々あったりするし。。。

初めてブログを書いたのは、バンドのウェブサイトで
そこではメンバーがそれぞれ更新したいときに日記を書く、という方式だったのですが
気づくと自分ばっかり書いていた気がします。
当時の自分は何故書かないのか?と不思議に思っていたのですが
あとのメンバーは、書きたいから書くタイプでは無かった。
勿論そういう人だって多い筈なのに、当時の自分はそれが理解できなかった(今考えたら幼いですね)
澱を言葉にして思考をすっきりさせる、という方法は昔から無意識にやっていたのかもしれないですね。
独り言ぶつぶつ。。。

アーティスティックで抽象的な美しい詩のような文章をブログに書くひと 
になりたい気持ちもあるんだけれど、自分のもやもやを美しく短い言葉で表せる筆力が
今のわたしにはありません。
だから、あれもこれも曝け出していてぜんぜん神秘的でなくって、
自分の音楽を聴いてもらう上では損しているのかも と時々思うけれども仕方ない。

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先日の曲に関して、歌詞をさほど重視していない、という記事について
自分なりの補足事項があります。
大江千里さんの歌詞をノートに書き写していた、という過去があるとおり
実はわたしは言葉が、日本語がすごく好きで、
だから余計に歌詞を書くのが苦手だったりする部分があります。

以前、ある人が
「歌詞なんて抽象的でいいと思う。聴く人がその抽象的な単語を自分なりに解釈すればいい」
と言っていて、それを聞いたときに、うーん違うかな?と思ったことがあります。
わたし自身は音楽の部分に関心を寄せすぎているので
曲を聴くときには(それが良い曲であればあるほど)
正直、歌詞を聴いていないことが多いのですが
それでもぽろっと耳に入ってくる言葉にはっとする瞬間はあったりして
ちゃんと歌詞カード全体を読んだり、ちゃんと言葉を意識してもう一度聴いたり
という事が本当にたまにだけど、あります。
それで初めて、ああこういう歌だったのね、と理解して
今まで何気なく聴いていた曲の情景が一気に浮かんできたりすることがあります。

そういう「聴き込み要素」として、ちゃんと歌詞は頭から終わりまで、
ちゃんと自分の中では筋が通ったものであった方が良いと思っています。
曲が、単なる想いの塊ではなく、作品となるためにも言葉は大事。
パーソナルな感情を出す出さない、という事については麓健一君の曲を聴いて考え方が変わりました。
それまでは客観的で少し抽象的なものがいい、と思ってたんだけど
彼の歌を聴いて、ちゃんと伝わる言葉って大事なのね、、、と気づきました。
ただ、誰もが彼のように、感情を歌声に上手く変換できるわけではないので、、、、
何とか自分なりにその部分を折半している感じで言葉を入れています。

歌詞については、自分の思考がそんなに深くないのを分かっているので
まだまだこれから様々な経験を経て伸びしろはあるのかなとも思っています。
歌い方も含めて、、、まだ何が良いのか決めかねている部分が大きいです。

うーん、努力。。。精進。。。。
約束が無くても、自分自身のためにやれるようになりたいです。


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by wankorosan | 2018-03-05 14:56 | 日常な感じ
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