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ずれてゆく

むかし中古レコード屋さんで買ったビーチボーイズのレアトラック集を聴いてました。
レアトラック集、というか、おそらく誰かが
曲のデモやsmileを録音したときのアクトテイクが入ったデモテープを持っていて
それを本人には無断でCDにしたものなんだと思う。
時期としてはその辺りのもののようです。good vibrations のごちゃごちゃした断片も入ってる。
ブライアンウィルソンが曲を作っているメモ的な録音も入っていて
何度も曲は途中で中断されたり、ちょっと戻っては何度も同じフレーズを繰りしたり
それを聴くのが好きで、何年おきかに聴いています。
音質は最悪も最悪で、セッションやデモも途中でぷつりと終わったりしてしまうんだけど
それにものすごくときめきを感じます。
ロウファイ、という言葉にしてしまうとすごく陳腐に思えてしまうんだけれど
綺麗に完成されてパッケージングされた、達者なものよりも
いびつで荒削りだったり、ふらふらして危なっかしかったり、少し完璧からずれているもの
それに堪らなく魅力を感じてしまって
そういうものを聴くと、ああ自分も作ろう、作れる、と思い直すのです。
のちにブライアンウィルソンが完成させた Smile よりも、
何じゃこりゃ感のある Smily Smile の方がぐっとくる。

もしかすると、それは、完璧なものを耳にしてもこれは無理だと思うから
未完成なものを聴いたらこれなら出来ると思ってしまう、だけ、、、
なのかもしれないんだけれど
綺麗に仕上げられたものを完成させて、ああ綺麗にできたって思って
それ以上の感情が湧き上がるような気がしない。
作られたものの中にある煌きが、どんどんこぼれ落ちてゆけるだけの隙間が欲しい。
自分の予想を超えたものにしか、心は動かない。

話は変わりますが
昨日、テレビで今時の10代の子が好きだという
youtubeとかネット配信なのかな?そういう場で歌を歌う「歌い手」さんの特集をやってました。
曲もオリジナルで作っていたりして、歌も上手いしすごく楽曲としてもレベルが高い。
ああ時代は紛れも無く2018年なんだなと思ってみてました。

アニソンというものをあまりきちんとは理解していないのですが
そういうイメージの曲が多かったです。
とりあえずテンポが速くってリズムが複雑で展開がプログレッシブでメロディの高低差もすごい。
わたしがもし、今10代だったら、そういう方向へ興味を向けていたんじゃないかと思う。
あれを歌いこなすのすごく難しいんだろうな。。
なんて思いながら聴いていたんだけれど、まんま最近のJポップなものも中にはありました。

わたしが音楽を作り始めたとき、そして今でも、心の中で絶対的な指標になっているのは
60年代、70年代のカラフルなポップスたちで
異論いろいろあるかと思われますが、自分の中ではその辺りの年代で
みんながポップで気持ちよく感じるメロディというものは出尽くしていると結論を出しています。
本当に新しくて且つみんなが気持ちいいメロディってポップスではもう出てこない。
電子音楽なんかの「音」では、まだまだ可能性はあると思ってるんだけど。
自分もそうだし、今ポップスの範疇で音楽を作っているひとのメロディは
全てその様式の中にあって、乱暴に言えば焼き直しだと思っています。

わたしの年代のおそらくプラマイ10歳ぐらいは
どんどん好きな音楽のルーツを掘り下げてゆきたくなり
そして60年代、70年代音楽に辿り着いてしまう、というのが定番ですが
10代ぐらいの「歌い手」から入った子たちって、そんな昔の音楽まで遡らないんじゃないかな。
もうそんな昔を夢見て音楽を作っていく人は減ってゆくのかな・・・
なんて事も感じました。
検索しちゃえば昔の音楽だってすぐに聴けちゃうし、そうやって耳にした古い音楽は
音も悪いしアレンジも古臭いし秩序だってなかったりするように聴こえるんじゃないのかな。
キラキラで刺激の強くて複雑で感情のわかりやすい今の曲の方が良い。
簡単に手に入るものには、憧れは抱き難いものだから。

我が家には、90年代に発行された音楽雑誌サブカルチャー雑誌ファンジンが沢山あるんだけれど
当時20代だった自分はそれを読んで、まだ知らない世界が沢山あって音楽や文化を沢山知っている人が居て
自分もそうなりたいし、そうする為には沢山レコードを買って雑誌を読んで情報を仕入れてゆかなきゃ
と、何も知らない自分、知らないということに焦りを感じていたものです。
それらを捨て去ることは出来ず、さいきん録音や練習の合間に何となく手にとって読み返すんだけれど
もうそれらを執筆していたライター陣よりも気づけば年をとってしまいました。

そして今感じることは、その「何でも知っている」ライター陣の虚栄、、、
彼らもまさか、20年後には、自分が書いているインタビューの殆どが
フェイスブックによって本人から直接発信される情報だったり
得意気にレコメンドした誰も知らない名曲をサウンドクラウドやyoutubeで簡単に聴けたり
長々と書いているそれらしい思索や論理はツイッターで簡単に論破されたり している
なんてこと、夢にも思わなかったと思う。
だから誇らしげに自分の知識をみんなに教えてあげられていた。
知っていること、持っていることがそのままプライドに繋がっていた。

はっきりと時代は変わったんだと感じること、本当によくあります。
携帯電話とインターネットが現れて、もう情報や知識には価値がなくなってしまい
根底から価値観が変わってしまった。
だからといって自分が思う美しさが変わるものではないんだけれど。

速いテンポでプログレッシブに展開する曲を見事に歌いこなすのは
面白いな凄いなとは思うけど、好みではないし何も響かない。
ついでに言うと、番組中で出てきてたPが「上手く歌えたところを組み合わせて編集する」
という発言をしていたのも、自分としてはイマイチに感じた。
演奏はDTMだから失敗は無いし、歌もピッチをいじってより完璧に近づける。
そうじゃなくって。。。
そうやって楽譜通りに演奏された曲の、その仕上がりを愛でる感覚が自分には無い。
つるつるに仕上がったら、心のひっかかりが無くなっちゃうんじゃないのかなあって
その人の心にある、微妙で静かな心の揺らぎが良いんじゃないのかなあって
そういうセンスがもう古臭いのかもしれないですね。でもいいや。

わたしはロウファイとかヘタウマいう言葉、むしろ嫌いぐらいなのですが
自分の琴線に触れるひっかかりは未完成のものの中にあって
それを聴くと心に翼が生えた気分になるのです。
でもそれを下手でも良い、の言い訳にはしたくない
という気持ちも、今の自分にはあります。

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by wankorosan | 2018-04-20 12:41 | 音楽とか
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