ずれてゆく

むかし中古レコード屋さんで買ったビーチボーイズのレアトラック集を聴いてました。
レアトラック集、というか、おそらく誰かが
曲のデモやsmileを録音したときのアクトテイクが入ったデモテープを持っていて
それを本人には無断でCDにしたものなんだと思う。
時期としてはその辺りのもののようです。good vibrations のごちゃごちゃした断片も入ってる。
ブライアンウィルソンが曲を作っているメモ的な録音も入っていて
何度も曲は途中で中断されたり、ちょっと戻っては何度も同じフレーズを繰りしたり
それを聴くのが好きで、何年おきかに聴いています。
音質は最悪も最悪で、セッションやデモも途中でぷつりと終わったりしてしまうんだけど
それにものすごくときめきを感じます。
ロウファイ、という言葉にしてしまうとすごく陳腐に思えてしまうんだけれど
綺麗に完成されてパッケージングされた、達者なものよりも
いびつで荒削りだったり、ふらふらして危なっかしかったり、少し完璧からずれているもの
それに堪らなく魅力を感じてしまって
そういうものを聴くと、ああ自分も作ろう、作れる、と思い直すのです。
のちにブライアンウィルソンが完成させた Smile よりも、
何じゃこりゃ感のある Smily Smile の方がぐっとくる。

もしかすると、それは、完璧なものを耳にしてもこれは無理だと思うから
未完成なものを聴いたらこれなら出来ると思ってしまう、だけ、、、
なのかもしれないんだけれど
綺麗に仕上げられたものを完成させて、ああ綺麗にできたって思って
それ以上の感情が湧き上がるような気がしない。
作られたものの中にある煌きが、どんどんこぼれ落ちてゆけるだけの隙間が欲しい。
自分の予想を超えたものにしか、心は動かない。

話は変わりますが
昨日、テレビで今時の10代の子が好きだという
youtubeとかネット配信なのかな?そういう場で歌を歌う「歌い手」さんの特集をやってました。
曲もオリジナルで作っていたりして、歌も上手いしすごく楽曲としてもレベルが高い。
ああ時代は紛れも無く2018年なんだなと思ってみてました。

アニソンというものをあまりきちんとは理解していないのですが
そういうイメージの曲が多かったです。
とりあえずテンポが速くってリズムが複雑で展開がプログレッシブでメロディの高低差もすごい。
わたしがもし、今10代だったら、そういう方向へ興味を向けていたんじゃないかと思う。
あれを歌いこなすのすごく難しいんだろうな。。
なんて思いながら聴いていたんだけれど、まんま最近のJポップなものも中にはありました。

わたしが音楽を作り始めたとき、そして今でも、心の中で絶対的な指標になっているのは
60年代、70年代のカラフルなポップスたちで
異論いろいろあるかと思われますが、自分の中ではその辺りの年代で
みんながポップで気持ちよく感じるメロディというものは出尽くしていると結論を出しています。
本当に新しくて且つみんなが気持ちいいメロディってポップスではもう出てこない。
電子音楽なんかの「音」では、まだまだ可能性はあると思ってるんだけど。
自分もそうだし、今ポップスの範疇で音楽を作っているひとのメロディは
全てその様式の中にあって、乱暴に言えば焼き直しだと思っています。

わたしの年代のおそらくプラマイ10歳ぐらいは
どんどん好きな音楽のルーツを掘り下げてゆきたくなり
そして60年代、70年代音楽に辿り着いてしまう、というのが定番ですが
10代ぐらいの「歌い手」から入った子たちって、そんな昔の音楽まで遡らないんじゃないかな。
もうそんな昔を夢見て音楽を作っていく人は減ってゆくのかな・・・
なんて事も感じました。
検索しちゃえば昔の音楽だってすぐに聴けちゃうし、そうやって耳にした古い音楽は
音も悪いしアレンジも古臭いし秩序だってなかったりするように聴こえるんじゃないのかな。
キラキラで刺激の強くて複雑で感情のわかりやすい今の曲の方が良い。
簡単に手に入るものには、憧れは抱き難いものだから。

我が家には、90年代に発行された音楽雑誌サブカルチャー雑誌ファンジンが沢山あるんだけれど
当時20代だった自分はそれを読んで、まだ知らない世界が沢山あって音楽や文化を沢山知っている人が居て
自分もそうなりたいし、そうする為には沢山レコードを買って雑誌を読んで情報を仕入れてゆかなきゃ
と、何も知らない自分、知らないということに焦りを感じていたものです。
それらを捨て去ることは出来ず、さいきん録音や練習の合間に何となく手にとって読み返すんだけれど
もうそれらを執筆していたライター陣よりも気づけば年をとってしまいました。

そして今感じることは、その「何でも知っている」ライター陣の虚栄、、、
彼らもまさか、20年後には、自分が書いているインタビューの殆どが
フェイスブックによって本人から直接発信される情報だったり
得意気にレコメンドした誰も知らない名曲をサウンドクラウドやyoutubeで簡単に聴けたり
長々と書いているそれらしい思索や論理はツイッターで簡単に論破されたり している
なんてこと、夢にも思わなかったと思う。
だから誇らしげに自分の知識をみんなに教えてあげられていた。
知っていること、持っていることがそのままプライドに繋がっていた。

はっきりと時代は変わったんだと感じること、本当によくあります。
携帯電話とインターネットが現れて、もう情報や知識には価値がなくなってしまい
根底から価値観が変わってしまった。
だからといって自分が思う美しさが変わるものではないんだけれど。

速いテンポでプログレッシブに展開する曲を見事に歌いこなすのは
面白いな凄いなとは思うけど、好みではないし何も響かない。
ついでに言うと、番組中で出てきてたPが「上手く歌えたところを組み合わせて編集する」
という発言をしていたのも、自分としてはイマイチに感じた。
演奏はDTMだから失敗は無いし、歌もピッチをいじってより完璧に近づける。
そうじゃなくって。。。
そうやって楽譜通りに演奏された曲の、その仕上がりを愛でる感覚が自分には無い。
つるつるに仕上がったら、心のひっかかりが無くなっちゃうんじゃないのかなあって
その人の心にある、微妙で静かな心の揺らぎが良いんじゃないのかなあって
そういうセンスがもう古臭いのかもしれないですね。でもいいや。

わたしはロウファイとかヘタウマいう言葉、むしろ嫌いぐらいなのですが
自分の琴線に触れるひっかかりは未完成のものの中にあって
それを聴くと心に翼が生えた気分になるのです。
でもそれを下手でも良い、の言い訳にはしたくない
という気持ちも、今の自分にはあります。

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# by wankorosan | 2018-04-20 12:41 | 音楽とか

犬の親

サウンドクラウドに新曲をアップしております。

先日、コンデンサーマイクを購入しまして、それで録音しました。
コンデンサーマイク、世界が変わりますね・・・
今までのマイクと比べると、iphone の機種を二世代ぐらい新しくしたカメラ、ぐらいの解像度の違いです。
単純にゲインが稼げるというのもあるのですが、音量を下げても歌が埋もれないです。
その代わり、歌の細かいニュアンスまで拾ってしまうので、雰囲気だけで押し切れない・・・
あとギターも同様で、ピッキングの粗もきっちり拾います。
元々、5・6弦が響きすぎるのでコンプかけて馴らしてみてます。
全体的に音質はレベルアップしたと思います。
今までは音圧だけを人並みになんとかあげて誤魔化していた感があるのですが、ちょっと奥行きが出たような。

アップロードしたのは20日ほど前だったのですが、
犬が入院したり何だと余裕がなくてブログに掲載するのをすっかり忘れていました。
ワンコは急性膵炎だったのですが、現在はすっかり元気になりました。
生き物を飼うと、そばに居たらいたで心配が絶えないし、居なかったら居ないで心配が絶えない。
せっかく犬が居ないのだから、自由に外出できるし、
と思って気分転換に美術館へ行ったり、ちょっとバイトを大目に入れたりしましたが
心の中のどうしようもない不安はどこへも行きませんでした。

人の親にはなりませんでしたが、犬の親になってみて
得たもの、失ったもの、ともにいろいろとあります。
何かを勝ち得るとは何かをなくしてゆくこと。


新しい曲について。

わたしは毎晩夢をみていて、その夢にはいくつかパターンがあります。
いつも知らない街で、今住んでいるところとは違う家に住んでいるんだけれど
夢の中ではその街のことはよく知っている。
行きつけの喫茶店があったりする。
いつも長い商店街で迷子になっている。
そして、何かの約束・・・ほとんどの場合、行きたくなかったピアノのお稽古・・・に
もうとっくに時間は過ぎているんだけれど、本当はもう辞めるって言いたいんだけれど
でも、追われるように向かっている。
小さいころ、ずっと一緒にいたカナリアを、カゴを洗うために扉をあけたら逃がしてしまう。
とおくに飛んでいって、いくら呼んでももう戻って来ない。
いつもいつも、同じ夢を何度もくりかえして見るので
もしかするとあっちが真実で、こっちは夢なのかもしれない
と、時々本気で思います。
あちらの日々の間に、こちらがあるのかもしれない。

以前にも書きましたが、わたしは天国・地獄・転生といった概念をあまり信じていません。
でも、全てが夢かもしれない、という感覚はいつもどこかにあります。
逆に夢じゃない、なんて誰が完全証明できるのだろうか。

もうひとつの曲。

テレビで宮崎市だったかな、街中に誰でも弾けるピアノが置いてあるんだそうです。
そのピアノは大人気で、みんな気軽に弾いていくらしくって
でも家で弾くのとは違って誰かに聴かれているという緊張感が堪らないんだろうな。
わたしもそこへ行って、適当なピアノを弾いたり
誰かが弾く渾身のピアノを耳にしたりしてみたいです。

音はすぐに消えてしまう。二度と同じ曲は聴けないピアノの演奏。
その、消える前の1秒を抱きしめる。
結局 音は消えてしまうんだけれども。。。
でもその音の余韻で遠い記憶が蘇る。
柔らかい陽射しのなかの。

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# by wankorosan | 2018-04-19 14:26 | 音楽とか

春 何かを連れて歩いて

先日、三浦カヨちゃんがカセットテープをリリースしました。
レーベルオーナーでもある、けいくんからカセットテープをいただきまして
早速聴きました。
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ジャケもピンクで春らしい感じ。
パッケージの可愛らしさと、カヨちゃんの可憐な雰囲気の歌声がよく合ってます。
カヨちゃんは三味線を弾きながら、日本の昔の歌(長唄)を歌ったり
オリジナルの曲も三味線で作ったりしています。
わたしは長唄というものに全く無知なのですが、
江戸時代に作られた楽曲に
電子バイオリンや口笛、ボンゴなど、おそらく長唄とは普段無縁であろう楽器が重ねられて
すごく面白い解釈でオリジナルなものが出来上がっていると思います。
そして何よりもカヨちゃんの自作の曲が不思議で良いです。
独特のテンポの取り方、そしてその揺らぎにそっと寄り添って深めてゆくようなボンゴやチェロ
時折シタールにも聴こえてくるような、無国籍感のある三味線のフレーズ
そしてカヨちゃんの春を感じさせるような歌声。
でも全体的な響きはお正月感のある日本的な晴れやかさがあって
お花見の時なんかに流したらいいなぁと思います。

わたしは自分の予想の範疇に収まらないようなミュージシャンが好きで
カヨちゃんもまた、とても自分にとって刺激的な存在です。
可憐でしなやかで芯の強い、人となりも好き。

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遅ればせながら、先日の加古川でのライブありがとうございました!
全く初めての場所なのに、みんな暖かかったです。
初めて演奏する場所だと、必ず最初の数曲は上手く出力できなくって
そこが自分の課題だなぁとあらためて実感しました。
こればかりは場数と練習の数なのかもしれません。

ライブの翌日、まっつんとけいくんに三枚目アルバムの録りなおした歌とギター入りを聴いてもらい
一緒に再ミックスしました。
6曲とはいえ、集中力がなかなか持たない・・・・
全体的にリバーブを削って、音も削って、できるだけシンプルに
だいぶスッキリしました。

この再ミックスの為に、しばらくずっと歌録りをしていたのですが
やっているうちに歌うことに対して迷宮に迷い込んでしまいました。
元々、さほど自己表現として歌うつもりではなくって
どちらかというと楽器のひとつとして歌を捉えているのですが
やっぱり人に聴かせるにあたって、それなりのクオリティまで持ってゆきたい。
でも中々、、、思うようにはならないですね。
人に聴かせるためのクオリティと、自分が本来好みの、力のこもらない感じの歌と
それを両立させるのがすごく難しい。
別にポップス歌手みたいな感じで歌いたい訳じゃないのに
聴くに耐えるように、と思うとつい気合が入ってしまう。
更に今回はリバーブを極力薄くしてゆこう、などと思っているので余計に難しい。
すっぴんが美しい人は相当綺麗な人な訳で。。
大して上手くない歌を聴かせる為には、ナチュラルメイクぐらいしないと厳しい。
まだこの問題については解決していないです。
たぶん力を抜いて歌ってもそれなりに聴こえる人は、相当歌が上手いんだと思います。
なので本気でボイストレーニングでも行こうか、と思ってしまうぐらいに悩んでます。
歌は録れば録るほど、それなりに良くなっていってる気がして
そうするとここで完成!との決め時が分からない。
もっと練習して、また録りなおしするかもしれません。

いずれにしても、自分は歌手でもないし、どちらかというと曲を作りたいタイプなので
ここでごちゃごちゃと悩んでいるのも何だか勿体無いような気がします。
アルバム、2枚組にしようと思っていて
6曲入りのバンド録音と、もう1枚は宅録で10曲ぐらいと考えていますが
まだ1曲も録音してません。勿論曲を作ってもいない。
宅録のほうのアルバムは、あんまり歌を前面に出さないようにしてゆこうかなあ。

さいきん、何となく自分に足りないものが分かってきたような気がします。
はっきりと何かが足りないから魅力が足りなくって
だからきちんと受け入れられ辛いのかもなあと。
精進してゆきます。

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# by wankorosan | 2018-03-26 11:44 | 音楽とか

くらがり音楽会

3月に加古川でライブいたします。
昨年の姫路ハルモニア以来・・・
ずいぶんやってないなと思いましたが、そうでもない8ヶ月ぶりです。
バンドメンバーの都合も上手いこといったので、4人で演奏いたします。
アルバムの完成はまだまだ先っぽいですが、
収録曲を中心にやるつもりなので雰囲気は感じていただけるかと思います。
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第2回 くらがり音楽会
〜灯を消して闇を見つめよう〜

3/10(土)
*出演*
SAYAKA&MANABY
てくらがり
優流(スグル)
APRICOTS

開演18時30分
終演21時

チャージ1000円+1オーダー

場所は加古川のグリーンラバースという喫茶店です。
駅からはちょっと遠いのですが、
電車でお越しの方は加古川駅の南口でレンタサイクルが借りられるようです。
知らない街を自転車で走るなんて最高じゃないですか、わたしはそういう場面が大好きです。
初めて行く場所、初めて一緒に演奏する方々
というのがとても久々のシチュエイションなのでドキドキワクワクです。
うん、改めて振り返ると本当に初めてって久々かも。。。
てくらがりを始めてから、全く初めて行く場所で演奏したのって油野美術館とハルモニアぐらいかなあ。
ジェニーの頃は結構新規開拓?てきなライブが定期的にあったので、あちこち行ってたけど。
ありがたいことです。

グリーンラバーズのオーナーさんのイベントなのですが
第1回に出演された、ちんぷんかんぷんのまさをさんから紹介されて知って頂いたそうです。
このイベントの第1回のときに、ちんぷんかんぷんや長濱礼香ちゃんが出演していたので
イベント名だけは目にしていて、「あっ 名前が似ている・・・」と思った覚えがあります。
オーナーさんはサウンドクラウドやこのブログを目にして依頼を決められたそうなのですが
その時にこのブログで書いてた記事って、、、
ライブしないで音源だけ売りたい みたいな内容だったので(苦笑
懐の広い方だなぁと、絶対にこの人いい人だなぁと、思いました。

くどくどと言い訳をしながら「だから私、ライブしなくないねん」と書きましたが
ライブの予定が決まってみると、やっぱり予定があった方が頑張れるかもしれない。
(なんじゃそれ!)
恥ずかしくない演奏をしよう、せっかくだから新曲もやろう、なんて
なんだかんだワクワクしている自分がいます。
仕事を頑張っていたときの癖で、何をするにしても優先順位をつけてしまうので
誰も待ってない、予定もない、、と思うと、ついつい練習や録音を後回しにしてしまいがちで。。
良いマイクも買ったし(これについてはまた後日報告しますね)
これから春に向かってゆくにつれて少しずつ積み重ねてゆこうと思います。


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# by wankorosan | 2018-03-10 23:59 | 音楽とか

何かを勝ち得る、それは何かを、無くしてゆくこと

先日、ツイッターだったかネットニュースだったかで大江千里さんの記事を読みました。
10年ほど前に渡米してジャズのスクールへ通って、
現在はアメリカでジャズピアニストとしてインディペンデントレーベルを立ち上げて
自主制作でアルバムを販売して、演奏してまわっているらしいです。

わたしには5歳年上の姉がいるのですが、
そのぐらいがたぶん大江さんのど真ん中世代なのかなぁと思います。
自分としては、最初は名前は知ってるけど、、、という程度だったかな。
でも中学生の頃だったか、ラジオで偶然に耳にした曲(1234の中の1曲でした)を耳にして
そこから一気に彼の曲にどはまりした時期があって
姉と同世代の従姉妹の家に行ったときにアルバムを録音させて貰ったりして
少しずつ、遡って1枚ずつアルバムを集めていって聴いてました。
ピアノスコアを買って弾き語りコピーしたり、歌詞をノートに書いたり。
無意識ですが、今現在に作っている曲の下敷きになってる部分がかなりあって
転調をぽんぽん繰り返したりとか、1曲を小さな宝箱のように作りたかったりとか、
おそらく相当に影響を受けているような気がします。
とにかく良いメロディメイカーなんですよね。
テレビドラマに出演したりするようになってからは、何となく楽曲に惹かれなくなってしまって
結局ある時期のアルバムばかり聴いていましたが、
(「乳房」から「1234」の間のアルバム)
今聴きなおしても、やっぱりソングライターとして凄い人だと思う。
偶然にも彼の曲の舞台である神戸に住むことになって、時々ふと思い出す曲が幾つもあります。
聴きこんでたアルバムは、ほとんどの曲を空で歌えるほど覚えてたのに自分でもびっくり。

と まぁ、元々ものすごく好きな人だったので、興味を持ってインタビューを読んだり
近況を綴っている文章を読んだりしていたら
彼も犬を飼っていて、自分自身で音楽を作り、料理をつくり、生活を送り、という環境に
ものすごく親近感を持ってしまって、ああ分かるそれ・・・と
気づいたら思わずnoteの定期購読をポチっとしていました。
全く違う環境に自分を置いて新しくチャレンジして、辛いけれどもひとつずつ壁を乗り越えて・・・
というストーリーも
自分が東京でギターを弾き始めて、知らない人と出会って、色んな職場で働いて、とにかく辛くも成長した時期と
すごく重なってみえました。
あれだけナイーブな音楽を作っていた人なのに、論理的でユーモアもあって勿論叙情性もある文章で
読んでて楽しいです。
何よりも、ものすごく努力しているんです。あれだけの人なのに。
そしてそれを全く愚痴る事無く、変なパワーポジティブさでなくちゃんと前を向いていて
やるべき事がわかっていてそれをちゃんとやっている
ことを全て包み隠さずきちんと言葉にしています。
読んでいると、それにひきかえ。自分。。とちょっと恥ずかしくなってきちゃいます。
自分の周りのすごく良い音楽を作るひとたちは、どうやって努力して良い曲を作っているとか
そういうのは全く明かさないので、
やっぱり芸能人ってすごい、と思ってしまう。
でもきっと皆、表に出さないだけで、これぐらい陰で努力して素晴らしい曲や演奏を作っているんだと思う。

で、何かを増やしたら何かを減らそうと思って
noteの定期購読をする代わりに、このブログの有料課金を止めることにしました。
地味ですが、実は課金していたんです。広告を消すために。
お金を払っていなければ過去記事がいつ消されてもおかしくないだろうなぁ と
バックアップが出来るので、昔の記事をPDFにバックアップしておきました。
このブログを始めたのはちょうど10年ぐらい前かな・・・
まだその頃はmixiというものが現役で存在しておりまして(笑
それに日記を書き、ジェニーのウェブサイトも存在していたので、そっちでも日記を書き
そしてこのブログでも書き。
内容は薄めですが、割と毎日書いていて、ブログを読む人もそれなりにいた時代。
今はツイッターやインスタグラムがそれに取って代わってしまったのかな。
何買った、何食べた、どこへ出掛けた、の報告は今は皆んなSNSでするもんね。
わたしもすっかりそうなってしまっていて、でもその方が色々良いかなとも。
でも当時は無かったインスタ映え的な概念が定着してしまって、
無邪気にアレしたコレ買ったみたいに書きづらい雰囲気は有りますよね。
たった10年で、いつ何が変わったのかは分からないんだけど、今とはやっぱり違う。

自分自身も10年でなんだかすっかり年老いた感じがあります。
よくよく考えれば10年前だって大して若くもなかったのに、文章を読んだら違うんですよねえ。
今こうして書いている文章も、10年後に読んだらそう思うのかもしれませんが
なんだろ、、、10年前の自分って、すごく楽しそう(笑
ここ10年、自分の環境や思いも180度変わってしまった部分があって
そのときの自分って、まさか大阪での生活をすべて無くして、東京に住むとは夢にも思っていなかったし
しかもその後、神戸に住んで犬を飼って、こんなにぼんやり暮らすとも思っていなかった。

都会の真ん中の綺麗な街に住んで仕事をしてお金をそこそこ貰って、
美味しいものを食べたり綺麗なものを買ったり、新しいお店に行ったり
ライブに行って新しく人と会って、自分もそれなりの頻度でライブをやって、友達に会って、、、
っていうのが、一番の幸せだと信じていたので
今みたいに、仕事してない、お金もあんまり無い、ライブもやらない、人とも会わない
でも犬が居て景色が毎日綺麗で曲作ったり練習したり音楽の事で悩んだりたまに人と会えたりして幸せ
みたいな境地に至ることが信じられない気がします。
どっちが正しいか、というのは特に無いと思うけれども
今の自分には今の生活が正しい気がします。

話は大江さんに戻りますが
彼が日記の中で「自分の日常で溜まった澱を時々音楽や文章にして吐き出す」というような内容の事を
書かれていて、
そこにわたしは大いに共感したのですが、
SNSが幅を利かせている現在、ブログを敢えてがっつり書いてる人、
巡回して読んでいる人ってやっぱりあまり多くなくって
すっかり読む人も少なくなってしまったこのブログに、なぜ自分が文章を書き続けているのかというと
わたしは文章を綴ることで思考を纏めるタイプの人間で、そうするのが単純に好きで気持ちいいから
というのが大きいです。
勿論SNSをやっていない人への近況報告っていう気持ちもあるのですが
たぶんこれ誰も読んでないからなあ。。
もはや自分を表現したり宣伝したりするツール、というものでも無くなってきているような。
たまにしかないライブ告知も飛ばしちゃうことが時々あったりするし。。。

初めてブログを書いたのは、バンドのウェブサイトで
そこではメンバーがそれぞれ更新したいときに日記を書く、という方式だったのですが
気づくと自分ばっかり書いていた気がします。
当時の自分は何故書かないのか?と不思議に思っていたのですが
あとのメンバーは、書きたいから書くタイプでは無かった。
勿論そういう人だって多い筈なのに、当時の自分はそれが理解できなかった(今考えたら幼いですね)
澱を言葉にして思考をすっきりさせる、という方法は昔から無意識にやっていたのかもしれないですね。
独り言ぶつぶつ。。。

アーティスティックで抽象的な美しい詩のような文章をブログに書くひと 
になりたい気持ちもあるんだけれど、自分のもやもやを美しく短い言葉で表せる筆力が
今のわたしにはありません。
だから、あれもこれも曝け出していてぜんぜん神秘的でなくって、
自分の音楽を聴いてもらう上では損しているのかも と時々思うけれども仕方ない。

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先日の曲に関して、歌詞をさほど重視していない、という記事について
自分なりの補足事項があります。
大江千里さんの歌詞をノートに書き写していた、という過去があるとおり
実はわたしは言葉が、日本語がすごく好きで、
だから余計に歌詞を書くのが苦手だったりする部分があります。

以前、ある人が
「歌詞なんて抽象的でいいと思う。聴く人がその抽象的な単語を自分なりに解釈すればいい」
と言っていて、それを聞いたときに、うーん違うかな?と思ったことがあります。
わたし自身は音楽の部分に関心を寄せすぎているので
曲を聴くときには(それが良い曲であればあるほど)
正直、歌詞を聴いていないことが多いのですが
それでもぽろっと耳に入ってくる言葉にはっとする瞬間はあったりして
ちゃんと歌詞カード全体を読んだり、ちゃんと言葉を意識してもう一度聴いたり
という事が本当にたまにだけど、あります。
それで初めて、ああこういう歌だったのね、と理解して
今まで何気なく聴いていた曲の情景が一気に浮かんできたりすることがあります。

そういう「聴き込み要素」として、ちゃんと歌詞は頭から終わりまで、
ちゃんと自分の中では筋が通ったものであった方が良いと思っています。
曲が、単なる想いの塊ではなく、作品となるためにも言葉は大事。
パーソナルな感情を出す出さない、という事については麓健一君の曲を聴いて考え方が変わりました。
それまでは客観的で少し抽象的なものがいい、と思ってたんだけど
彼の歌を聴いて、ちゃんと伝わる言葉って大事なのね、、、と気づきました。
ただ、誰もが彼のように、感情を歌声に上手く変換できるわけではないので、、、、
何とか自分なりにその部分を折半している感じで言葉を入れています。

歌詞については、自分の思考がそんなに深くないのを分かっているので
まだまだこれから様々な経験を経て伸びしろはあるのかなとも思っています。
歌い方も含めて、、、まだ何が良いのか決めかねている部分が大きいです。

うーん、努力。。。精進。。。。
約束が無くても、自分自身のためにやれるようになりたいです。


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# by wankorosan | 2018-03-05 14:56 | 日常な感じ

日々と日々のあいだ

shinowaさんから新しいアルバムが届きました。
数人なのですが、新しい音源が完成するといつも送ってくださる友人がいて
お互いの近況を報告しあう、みたいな暖かさしかない出来事に
いつもじんわりしてしまいます。
製作ペースが遅すぎて、貰ってばかりになってしまってるので
わたしも頑張って恥ずかしくないものを作らないと。。
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新しいアルバムは、ぐっとポップ感が増していて
全曲、シングルA面に出来るほどのクオリティで、正直びびりました。
びびる、というのは言い方が悪いかな。。
でもわたしは、曲を作る側からの聴き方しか出来ない、ある意味可哀想な人間なので
これが最大限の褒め言葉です。
サイケデリック とか アシッド とか
そういうキーワードを安易に使う人を見ると、ああ安易だなあと思ってしまう。
前はいちいち怒ったりむかついたりしていたけど、今はただ安易だねと思うだけ。
シノワさんに関しても、この安易なサイケデリックという冠が逆に邪魔な気がする。
そんなキーワード抜きにして、曲!ものすごいから!!
美しいメロディとポップな展開、かおりさんの少し憂いを帯びた可愛い目の声質、
それがサイケデリックと評されるであろう、ゴージャスで幽玄的なギターにくるまれています。

元々ずっと思っていた事でしたが
アシッドとかアンダーグラウンドとか
そういう言葉が最近ますますどうでも良く感じてきていて
かと言ってテレビから流れてくるJポップ的な音楽には全く心を動かされないので
(曲のクオリティ云々以前に、何も感じるところがない、なぜか)
まぁ結局は自分が好みと思うものの中には
やっぱりそういった要素が混ざっているんだとは思うのですが
でも、自分の良しとするものの判断基準の肝はポップさなのかもしれないなあ と
思っています。

エレファントレコードという
スペインだった気がするけど何故か今はUKとついているレーベルがあって
そこのサウンドクラウドが気前良くアルバムを何枚もフルで視聴出来て
ここ半年ぐらい気分を盛り上げたい時には垂れ流しています。
いわゆるギターポップで、
こういう音楽を自分の身の回りの人たちは一時期バカにしている感じがあったのですが
わたしは実にこういうポップでメロディが綺麗で声もアレンジも可愛くて
という音楽が大好きです。
みんなが歌謡曲?とかアイドルソングを無邪気に聴くような感じで、楽しく聴ける。
あとは100均のセリアでかかってる曲とか。良いですよね。
気持ちよさの塊です。

ポップスというものは全てを包み込む半透明のベールみたいなものだと思います。
中身は色んなタイプの音楽が入っていて。
それらを気持ち良くエフェクトしてゆくその薄い衣を持っているひと、そうでないひと。
音楽は魔法なのか、そうではないのか、という(どうでもいい)論争が以前ありましたが
曲に魔法をかけるポップスのセンスはある程度、持つもの持たざるものに分かれてゆく気がする。

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話は変わりますが
歌手になりたい歌が上手い女の子のオーディション番組みたいのをやっていて
女の子の歌を聴いて審査員の人や観客がみんな涙を流していたんですよね。
(確かに歌はすごく上手で、叙情的に曲を歌い上げていましたよ)
おいおい、番組を盛り上げるための演技かよ、、と勘繰ってしまった自分は
素直に音楽を聴けないタイプなので仕方ないのかなとも思ったのですが
ふと今までの人生を振り返ったら、音楽自体で泣いたことなんか無い気がする。
良く言う鳥肌、みたいのもあんまり覚えがない。

かと言って勿論、音楽が好きじゃないわけでもない。
人並み以上に音楽が好きで、いろいろ費やしてきたと思っています。
たぶん生で歌声を聴いてる回数も人よりも多いし
たくさんの音楽に触れて、許容範囲も広いほうと思う。
でも、人となりや思いを知っていて、それを踏まえての演奏をみたらぐっと来ることはあるけれど
(ハルモニアでのようちゃんのさよならメイヨは泣きそうになりました)
目の前で見ず知らずの子が歌っていて、それがいくら上手だからといって
そこに感動して泣く、という気持ちがイマイチ自分にはわからないのです。
結構テレビで歌手が歌っているのを観客が観て泣いている場面を見るのですが
なぜ自分はそこに乗ることが出来ないんだろうなあ、、、と
純粋に不思議に思って考えていたのですが、
一因と思うのが、自分は基本的に歌詞をあまり重視していない というもの。

いや言葉は大事ですよ。でも、わたしは気持ちはメロディに声質に行ってしまう。
特に初見の曲や人だったりしたら、ほぼそうなる。
みんなホントは歌に感動しているんじゃなくて、
言葉に自分を投影させてその言葉が発せられる声やメロディに乗っかって
それで泣いているんじゃないのだろうか、、、と。
何だ音楽に対する情熱関係無いじゃんそれ。

そう思ったら、自分は一生歌では泣けないかもしれないなあ、、、
と、音楽を作る身でありながら、その魔法の恩恵には与れない損な性格なのかもしれません。
ついでに、自分はオリンピックとかのスポーツでも泣けないです。
すごいなあとは思えど、感動を貰ったとか意味がわからない。
感動の涙、、、流せるタイプになってみたい。
感受性が鈍いのかなあ。
今のところ犬関連でしか泣けないけれど、もっと年をとれば涙もろくなってゆくかもしれない。
そうなれば若い女の子のお歌を聴いてボロボロと。。



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# by wankorosan | 2018-02-21 11:41 | 音楽とか

言葉について 2

引退宣言、というものをする人としない人がいる。
芸能人で周りに責任やお金が発生するひとは、
そりゃあきっちり辞めますと言わなければいけない都合もあるとは思うんだけど
そうでなく、あくまで趣味というか好きでやっていたことを
わざわざ「もう辞めます」と言って辞める人が割と一定数居て
まぁ個人の自由ではあるけれども、でも別に宣言せんでもいいのになあ とは思う。
もし再開したくなった時にちょっと気恥ずかしくなったりしないのかな 
なんて余計な心配をしてしまったり。

何年か前に、自分は直接親しくはないけれども、友人の友人ぐらいの
それなりに人気はあるけどインディのミュージシャンの子が
「引退宣言」をSNSでしていて、
(もしかするとSNSで宣言したんじゃなくってそこで拡散されだだけかもですが)
わざわざ言わんでもひっそり辞めればいいじゃん
辞めると言って辞められるんだったら、音楽ってあなたにとってその程度じゃないのか
と 冷ややかな思いをもっていたのですが
案の定、その方は割りと早くに「活動再開」をしていて、ますますその人となりが嫌になった。。
という思い出もあるのですが
それをずっと覚えているということは、自分はもしかしてその人に割りと興味があるのかな
などとも思ったり。
(音楽的には特に嫌いではないのですが、人となりはどうも苦手 とずっと思っています。今も。。)

十中八九、わざわざ「辞める」と口に出す場合は
「それはさみしい、勿体無い、辞めないで」と言って欲しいから、でしょう。。
今からちょうど10年ぐらい前でしょうか
わたしはゲームが好きなのでその関係で某掲示板に割と出入りしていたのですが
そこでさまざまなスレッドの無数のコテハンの「引退宣言」を目にして、それを確信したものです。
宣言しておきながら、こっそりとコテハンを外して書き込みを続けたりとか
しれっと名前を変えてまた再開したりとか(でも本人と分かってしまう)
傍からみたらネタかなと思うような人が沢山いて。
引き止められることで自分の存在意義を見出そうというのは、悲しいものがあります。
わざわざ「皆さんさようなら」と書く人は、絶対そのレスポンスを読みに来てる。
その一方で、何も言わずにある日突然ぷっつりと居なくなる人も沢山いて。
そういう人は本当に辞めてしまったんだろうなあと逆にさみしくなったものです。

わたしは大学のときにバンドを始めて、
そこから細々と途中全く曲を作らなくなったり(ゲーム忙しかったし)また作ったりと
何だかんだともう20年以上も一応は継続的に何らかの音楽活動を続けていますが
バンドを始めた当時の周りの人たちは大半はもう音楽活動を辞めてしまってます。

ある程度の年齢になると、生活に磨耗されてしまい音楽をする余裕が無くなってしまったり
いつまで経っても輝かしく評価されないのでモチベーションが下がってしまったり
単純に環境が変わって音楽仲間との交流が途絶えてしまい、もうやる必要を感じなくなってしまったり
理由は様々だけれども、おそらくほとんどの人がフェイドアウトしていったんだと思います。
おそらく本人も、もう今日からきっぱり辞めよう、なんて思って辞めたわけじゃない。
なんとなく、いつの間にか、楽器を触らなくなって曲も作らなくなって。

自分がもし音楽を辞めることがあるとしたら、
たぶんフェイドアウトのパターンで何となく辞めていってしまうんだと思いますが
今のところそうなる予感は全く無くって、おそらくこの先もそうだと思います。
(人生何があるか分からないので、おそらく と言いますが、自分では確信に近いです)
自分ひとりで音楽をつくって、どこかに発表して、その反響に対しては依存しない。
という姿勢でいる限り辞める理由が見当たらない。
なぜなら、自分は物心つく頃から、音楽ぐらいしかコレという趣味がないからです。
ゲームとか手芸系とかお菓子作ったりとか趣味と実益を備えた娯楽は他に持っているのですが
それとはやっぱり違うんですよね。。

小学生の頃、家にあったみんなの歌の本や、学校で配られた歌集を
端から端まで全曲覚えて歌えるようにした、とか
姉が持っていたレコードやラジオから流れる曲を必死でテープに録音して覚えた、とか
漫画で読んだ台詞になんとなく自分のオリジナルのフレーズでメロディをのせていた、とか
気づけば何らかの曲を頭の中でずっと繰り返していた、とか
他のことに比べると音楽に対する執着だけは昔からものすごくって
今はそこまでではないんだけれど(何かと忙しいのでね)まぁ曲をつくることだけは何故か出来る。

別に自分には天賦の才能があるとか、そういうことを言ってるわけではないです。
(前にも書きましたが自分の能力を割と的確に判断出来るタイプなので)
他のことと比べて音楽にだけ、異様に興味と執着がある というだけのことです。
それを40年以上続けてきたので、もう今更無くなるわけがないと思う。
自分はミュージシャンで、だから音楽を作ろう!みたいな感じでは、もはや無く
作れるし作るのが自然だしなぜか作らなきゃいけないと思っているので
やっぱり、辞める理由が無い。

今年の抱負てきな事をツイッターに書いたときに
確か「自分にとって音楽は辞める辞めないの問題ではない」と書いた気がするのだけれど
こういうことです。

音楽を引退宣言する方たちは、音楽を作らない人生をどうぞ楽しんでください。
(嫌味とかそういう風にとられたら悲しいです。文面どおりの意味です)



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# by wankorosan | 2018-01-26 12:43 | ヒトリゴト